2000 SUMMER vol.62
〜WOMAN CLOSE-UP〜
 【すべてを読む】相原みね子
「I'm sorry. You are excellent caddie.」とゲーリー・プレーヤーが相原みね子に微笑みかけてきたのは、3番ホールのグリーンから4番ティインググラウンドに向かう途中だった。

 1957年10月。カナダカップが霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催された。当時、同カンツリー倶楽部正式入社5年目、20歳の相原は、ゲーリー・プレーヤーのキャディを務めることになった。

 「最初にプレーヤーさんと合ったのは練習ラウンドの朝、キャディマスター室の前でしたが、私を見るなりプレーヤーさんは驚いた顔して“スモール!”“大丈夫?”を連発していたんです」と相原は当時を振り返る。しかし「いつもとそんなに変わりませんでした。打ったボールの行方を絶対見逃さないようにする。歩く時は邪魔にならないように、プレーヤーさんの斜め後ろをあまり離れずに付いて行く。私に聞きたいことがあるな! という表情をしたら、知っているすべてのことを知らせる。もちろん身振り手振りですけどね」と相原は笑う。

 相原曰く、この「普段とあまり変わらないキャディとしての行動」が、練習ラウンドを3ホール重ねただけで、プレーヤーの全幅の信頼を得たことになる。ただし「いつもと違うことをひとつだけ準備していました」と相原は言う。それは「練習ラウンドが行われた当日の朝、紙と鉛筆を持って18ホールを歩いたんです。はい、ピンポジションを正確に掴みたかったからです。もちろんそのメモを見て、身振り手振りで各ホールのピンポジションを伝えましたよ。でも世界の一流選手というのは凄いですね。私が伝えた通りの所へボールを運ぶのです。

例えばこのホールのピンはここに立っているけど、それより右に打たないと上りの易しいパッティングにはならない。オーバーとピンの左からだと、とても難しいラインになる♢♢と、どこまで伝わったか分かりませんが説明すると、黙ってうなずき、ピンの右側直ぐの所へ打ってしまうんですよ。これにはビックリしました」と言うが、女性キャディに慣れていない、しかも小さくて華奢で童顔の相原が、これだけ詳しいグリーンデータを正確にアドバイスする姿に、恐らくプレーヤーは、相原の数倍驚いたに違いない。


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