2003 JANUARY vol.72
 終わってみれば高又順さんの優勝、しかも大会史上最少ストロークとなった。今年の女子オープン、箱根では初めての開催だったこともあって、感慨がひとしおだった。自然がゴルフ場にされるのを待っていた、と言われたほど美しい箱根カントリー倶楽部の有様は、きっと出場選手はもとよりギャラリーの方々の記憶にも残ることだろう。

 20歳のオチョアさんと一緒の組だった高さんは、こんな若いのに負けてたまるか、と奮起しながら廻ったそうだ。優勝はあるいは、オチョアさんのおかげだったかもしれない。それに高さんは今年お母様を亡くされたそうで、たぶん天国からの応援もあっただろう。死者の霊ほど強い味方はないというから。いつの日か母国にゴルフ場を造りたいという彼女の大きな夢も、きっと叶うに違いない。

 3日目、1打差で2位に浮上した山田かよさんは、さすが三島の人、箱根もすぐに手中にしたか、と期待をもたせてくれたのだが、残念だった。あとで彼女が芝目を見るのに、金時山はどれ、と連呼していたと聞いておかしくなった。三島や御殿場では富士山のありかを訊ねるが、箱根では金時山と知って焦ったのだろうか。

 金時山はどうか知らないが、富士山の五合目から1時間ほど歩いたところには、たしかに水苔が、山頂から来る雪解け水の滴りにまさしく順目をなして、千年以上前の噴火で飛んできたものらしい溶岩に張り付いている。これが本家本元の順目か、としみじみ触ってきたものだが、ゴルフ場の芝目は未だにさっぱりわからない。アマとプロの差は、富士山と金時山より更に大きい、と肝に銘じてわかった次第だった。

 最終日、福嶋晃子さんにつぐ大ギャラリーを集めていたローラ・デービスさんは、足を痛めたらしく、不動裕理さんがミラクルパットでギャラリーを湧かせた17番では足を引きずっていた。あれはおそらく冷えで足がつったのだと思う。

 芦ノ湖は昔、箱根の面積の半分を占めていたそうで、そのせいか箱根はとても多湿なのである。ことに仙石はひどいから、オチョアさんならともかく、ローラさんが4日間もショートパンツで過ごしていては、つるのも当然となる。今更言っても遅かりしだが、これも運というものだろうか。勝負を決めるのは、まさに実力だけではないようだ。
文/瀧澤美恵子

1939年新潟県生まれ。
東京外語大中国語科中退。
1989年『ネコババのいる町で』で第69回文学界新人賞、第102回芥川賞を受賞。主な作品に『舞台裏』『夕顔の宿』『ドンツク囃子』『悲恋斬るべし』など。


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