「別に私だけがカナダカップで世界の一流プロのキャディをしたわけではないんです。当時の霞のキャディは全員私以上の実力を持っていました。未熟だったから気が付いたんですよ。一心同体になるには、選手やお客様の気持ちを分からなくてはならないって。あれから40年余り、付いたお客様の気持ちを“読む”ことを心がけて仕事してきました。それができないとお金をいただいて仕事させてもらうプロのキャディとは言えないと思います」と少しはにかみながら相原は続けた。
自分のスタイルで仕事をするのではなく、それぞれのお客さんのスタイルに合わせて仕事をする♢♢。それが相原の、そして霞ヶ関カンツリー倶楽部のキャディの常識なのである。
「女だからどうのと考えたことはないですね。楽しく仕事をこなせばお客さんも喜んでくれる。それが嬉しくてまたお客さんの気持ちを知ろうとする。キャディっていろんな世界の人と出会えて楽しいですよ。もちろん今度生まれて来てもキャディをしたいですね」と相原は会心の笑みを見せる。
1999年1月。60歳の定年を迎え、今では霞ヶ関カンツリー倶楽部の臨時キャディを務める相原。カナダカップ当時、一緒に世界のトッププロのバッグを担いだ仲間も次々と定年を迎えているが、その多くが相原同様臨時キャディとして霞ヶ関カンツリー倶楽部を離れようとしない。そして彼女たちは、競技者のアイコンタクトを見逃さずに、誇りを持ってプロキャディを楽しんでいるのである。 |