2003 DECEMBER vol.74
快挙への伏線

  2003年8月23日、甲子園球場で第85回全国高校野球選手権記念大会の決勝戦が行われ、茨城県の常総学院が宮城県の東北高校を破り優勝を飾った。試合終了後、自陣のアルプススタンドの前で泣き崩れる東北ナイン。
 スタンドから声援を送り続けた東北高校の3年生、宮里藍の目にも涙が浮かんだ。
 「同じ高校の部活でがんばっている友達が悔し涙を流しているのを見ると、私自身すごく悔しくなるんです。逆に私のゴルフの成績も、周りの友達は自分のことのように一喜一憂してくれる。本土の高校に行くと決めた時は、ちゃんと友達ができるかどうか不安だったけど余計な心配でした。友達にも恵まれてて充実した高校生活でした」。
 自身の高校生活を「本当にあっという間だった」と振り返る宮里は、同学年の友達よりも一足早くアマチュアゴルフ界からの卒業を迎えた。9月に行われた女子トーナメント「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」でアマチュアとして30年ぶりの優勝を飾り、10月7日、母校の東北高校でプロ入りを宣言した——。
 幼い頃から「天才少女」と呼ばれ、数々のアマチュア競技で結果を残してきた宮里。心に残るアマチュア時代の思い出も、ひとつやふたつではない。「その中でも強く印象に残っているのは「2003年の日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」だと言う。一昨年の2001年にはベスト8、前年の2002年にはベスト4と好成績を残すも、あと一歩のところで逃し続けてきたビッグタイトル。やっとの思いで手に入れたトロフィーは、一番重く、輝いていた。
 「この2年間でアマチュアの国際競技やプロのトーナメントに出場する機会をたくさん頂いたので私自身成長しました。その経験が優勝にもつながったんだと思います」。

 予兆はあった。日本女子アマチュアゴルフ選手権競技のタイトルを手に入れた前年、宮里は2つの大きな国際試合で優勝を経験している。ひとつはマレーシアで行われた「クィーンシリキットカップアジア女子アマチュア招待ゴルフチーム選手権」、もうひとつは韓国・釜山で開催された「アジア競技大会」である。
 上原彩子、古屋京子とともにナショナルチームの一員として2002年のクィーンシリキットカップに参戦した宮里は、団体戦、個人戦ともに優勝争いにからむ活躍を見せた。最終的に個人戦では惜しくも2位に終わるも、団体戦では当時「最強」とうたわれた韓国チームをプレーオフの末破り、チームジャパンに同大会5年ぶりの優勝をもたらした。自分の成績がチームの成績に直結する団体戦、しかもプレーオフともなれば1打のミスも許されない。個人戦にはない独特の緊張感の中でのプレーは、多くの大舞台を経験してきた宮里にとっても貴重なものだった。またその年の10月に行われたアジア競技大会も、首位と3打差で迎えた最終日に、土壇場で首位を逆転して金メダルを手に入れるという劇的な展開だった。
 「精神面を強くするにはやはり場数を踏むことが大切だと思います。特にクィーンシリキットカップやアジア競技大会は競り合って勝てた試合なので、良い経験になりました」。
 宮里が成長を遂げたのは、ゴルフの技術だけではない。ナショナルチームの合宿では海外でのコミュニケーションの取り方やスピーチの練習も行われる。「得意科目は国語と英語。海外に行ったら他の海外選手と話すことをすごく楽しみにしている」という宮里にとって、それらの経験はとても嬉しかった。ナショナルチームの一員として海外を転戦する日々は、10代の宮里の心を知らず知らずのうちに成長させていた。


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