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「ゴルフと私」 |
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池田 勇太 千葉学芸高等学校 |
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私がゴルフを始めたのは、6歳の頃、祖父にゴルフ練習場に連れて行ってもらったことがきっかけでした。大好きな祖父と一緒にコースをまわり、ひとつひとつルールを覚えていくことがとても楽しく、私はすぐにゴルフの魅力にとりつかれてしまいました。
普段は優しい祖父ですが、ゴルフを教えるとなると一変、とても厳しかったことを思い出します。その頃の私は、クラブにボールを当てることと、ボールをより遠くへ飛ばすこと、この二つを目標に、祖父のコーチのもと、毎日300球を超える練習を積み重ねていました。ですから、小学校時代の私は、放課後友達と遊んだという記憶がほとんどありません。正直言ってしまえば、遊びたいという気持ちは確かにありました。しかし、私はゴルフが好きだったし、早く上手になりたいという気持ちのほうが勝っていました。だから遊ぶことを我慢して、ゴルフに没頭する毎日が続けられたのだと思います。
実際には小学生の試合は少なく、本格的に出場できるようになったのは中学生からです。最初の頃は「予選を通過すること」を目標としていましたが、数多くの試合を経験するうちに、次第に「優勝」の二文字が大きく私の中で位置を占めるようになり、今度は目標を優勝に絞り、ひたすら練習に励みました。その甲斐あって、中学2年生の時に、念願の初優勝を果たすことができました。あのときの感動は今でも忘れられません。それからは年々順調にレベルアップを重ねてきました。
高校生になると、精神的にも向上し、技術だけでなく、ゴルフを通して人間的に幅を広げること、人として大切なことを学び、自分にとってとても良い勉強ができました。
また、3年生になると、国内だけでなく、海外遠征も多くなり、アジアジュニア選手権や世界ジュニア選手権など、数多く出場し、七月には世界ジュニア選手権の日本代表選手としてアメリカに渡りました。個人、団体ともに優勝を果たし、最高の結果を残すことができましたが、自分にとっては成績そのものより、その他の面で得たものが大きかったです。テクニックの豊かさはもちろん、アメリカ人のゴルフへの情熱、ギャラリーの熱気など、何をとっても驚かされ、勉強になることが多く、日本との差を思い知らされました。また、外国の同年代の選手と戦ったことでも、日本にいてはわからない、レベルの違いも改めて感じることができました。
その後日本に帰国してすぐ、男子ゴルフツアーのひとつである日本オープンに出場することができました。世界のジュニアレベルを知って帰国した私は、この試合に出場したことでも、私の考えがまだまだ甘いということがよくわかりました。ゴルフの世界において私がどのような立場にいるのかということも、よくわかり、とてもプラスになりました。
四月からは大学に入学することが決まっています。私が大学で学びたいことは、もちろんゴルフもひとつに入りますが、それよりもやはり、人としての常識や、もっと大きな人間として成長していきたい、プレーだけでなく、一人の人間として強くあるためにはどうすればよいかということを学びたいです。実際、大学へ進学するのかプロの世界へ行くのかとても迷いました。周りの人の意見も様々でしたが、プロの世界に入ったところで、まだ半人前の私が本当にやっていけるのか、冷静に考えたのです。そして大学への進学を決定しました。
私の将来の夢は、もちろんプロゴルファーになることですが、ただのゴルフファーにはなりたくありません。どのような状況下におかれても動じない精神力を身につけるとともに、人として大事な事を忘れず、常識のある人間になりたいです。ファンも多く、誰からも好かれるプロゴルファーになりたいです。そしてずっと私のことをそばですっと見守ってくれた家族に感謝をし、恩返しをしていきたいと思っています。 |
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