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「ゴルフと私」 |
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和田 委世子 東北高等学校 |
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小学校三年生のある日、私は、テレビゲームでゴルフのゲームをしていました。そこへ父がやってきて、「おまえ、本物のゴルフやってみるか。」と私に言ってきたのです。私は好奇心で、「うん!」と答え、父の教えの元、初めてゴルフクラブを握りました。これが私のゴルフとの出逢いでした。
私の両親は共働きでいつも忙しく、私はおじいちゃんとおばあちゃんといる事が多かったのです。そんな中、父と唯一、コミュニケーションをとることができたのが、ゴルフの練習の時間でした。ゴルフが私と父を繋いでくれました。それまでは、父とあまり接する機会がなかったのです。
ゴルフを本気でするようになってから、私は学校から帰ってくると、毎日父と練習に行き、休みの日にはコースに出かける日々が続きました。中学生になると、全国大会にも多く出場ができるようになり、レベルの高さを思い知り、さらに練習に力が入りました。知らないうちに、だんだんとゴルフの魅力にひかれていったのです。そして中学三年生の時、初めて出場できた日本女子アマチュア選手権で予選を通過し、マッチプレーに進むことができたのです。マッチプレーでは一回戦で負けてしまいましたが、その時私は、それまで漠然としていた目標が、はっきりとしたものに変わりました。「私は、プロになって海外で活躍するんだ。」と。
東北高校に入学すると、初めて親元を離れ、寮生活になりました。もちろん、掃除、洗濯は自分でしなければいけないし、土日は食事が出ないので自分で作るのです。すべての事を自分でしなければいけなくなり、親のありがたさがわかりました。そして、いろいろな物を自分で買うようになり、さらに、お金の大切さがわかりました。
期待と希望を胸にスタートした高校生活でしたが、待っていたのは、初めての挫折でした。それまで順調に上達し、成績も年々上がっていたのに、高校に入学してから一年間、一つも納得のいく結果を残すことができなかったのです。そのせいか、ゴルフの楽しさがわからなくなっていました。それと同時に、悲しい出来事がありました。それは生れた時から白血病を患っていた弟の弘誠の死でした。先が短いと知りながらも、突然の事で、その時は信じられませんでした。頑張っているはずなのに上手くいかず、目標を見失っていたそんな私に、弘誠の声が聞こえてきたのです。「僕の分も、おねえちゃん頑張って!」と…。その時、私は、自信をなくし、希望を失っている私を弘誠は望んでいないと思いました。それから私は、気持ちを新たな気持ちで切り換え、頑張っていればきっといつか自分に返ってくると信じて、練習、トレーニングに励みました。そして翌年、強い思いが通じたのか、東北女子アマチュア選手権優勝や、日本女子アマチュア選手権メダリストなどのタイトルを取ることができました。そしてなにより、ゴルフの楽しさを新たに知ることができたのです。
私にとってゴルフは人生そのものなっていると思います。ゴルフは、私にたくさんの事を教え、与えてくれます。そしてゴルフを通じて、多くの人に出逢い、さまざまな体験ができました。このように私がゴルフを続けていられるのは両親のおかげであり、家族、友達の支えがあるからです。
人の人生は、十人十色で同じ道を歩むことはありません。一人一人違うのです。ゴルフ以外でもさまざまな部門で活躍し、素晴らしい人生を歩んでいる人は数えきれないほどいます。私は、そんな一度しかない人生、「和田委世子ストーリー」を最高のものにするために、ゴルフを通じていつも謙虚な気持ちと、感謝の気持ちを忘れず、日々精進していきたいと思います。 |
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