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「私とゴルフ」 |
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足立 晶子
東洋英和女学院大学4年 |
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今日、学生ゴルフと言えばジュニアから活躍している選手が多くいますが、そのような知識はほとんどない状態で、私は大学の体育会ゴルフ部に入部し、初めてクラブを握りました。
2001年4月。大学に入学し、中学・高校と体育会で卓球をしていた私は、もう体育会はいいかと思っていたのですが、「体育会の中で一番部活少なくて楽だから」の言葉に魅かれ、ゴルフ部に入部しました。しかし入部してみると、上下関係は非常に厳しく、ラウンドは常に走りっぱなしで怒られる毎日でした。そんなある日、母がチラシで練習場アルバイトの募集を見つけ、始めることになりました。週1回のフロント業務で、練習はいつでもタダ。インストラクターにも無料で週1回教えてもらえることになりました。秋頃からアルバイト先で毎日球を打つようになり、2年生でレギュラーに入ることが目標となりました。
2年生になり、6月に初めて試合に出ました。学連月例会で、結果は2位。その波に乗り、夏の合宿で秋季リーグ戦のレギュラー入りを果たしましたが、2日間とも出場することは出来ませんでした。又、この年の4月から、学連の役員としてお仕事をすることにもなりました。
主戦力だった先輩達が卒業し、3年生になった私や同期生は、部員数が少ない為、嫌でもレギュラーでした。スコアを出さなくてはならないプレッシャーを大きく感じるようになり、春季リーグ戦では見事大叩きをして不採用。2日目は出場出来ず、とても悔しい思いをしました。こんな思いはもうしたくないと思うと同時に、この頃から、今の私のゴルフにおいてのモットーである、「こんなはずじゃないと思うな」という精神が生まれました。秋季はこれでしっかり雪辱を晴らしました。
そしてあっという間に学生ゴルフ最後の年になってしまいました。春季リーグ戦では過去最高順位になったものの、私自身のスコアはいまいち伸びていませんでした。6月の関東女子学生予選会をギリギリで通過し、夏合宿でも90台を打っていた中で、関東女子学生に出場。最下位にならなければと思っていたこの試合で、なんと2日間ベストスコアを出し、日本女子学生の出場権まで得てしまいました。この試合で一皮剥けたのか、それからの私のゴルフはそれまでと別物でした。日本女子学生は、それこそ最下位にはならずに済んだという結果でしたが、出場出来ただけでも十分貴重な経験になりました。又、トップレベルの選手達と一緒にプレーが出来、非常に勉強になりました。そして秋季リーグ戦もベストスコアを出すことが出来、良い結果で引退を迎えられました。
ゴルフ部での4年間で、ゴルフから得たものはもちろん沢山あるのですが、それ以上に私を成長させてくれたのは、2年生から始めた学連のお仕事でした。2、3年生の間は、競技運営のお手伝いがほとんどでしたが、4年生になり、私は日本学生ゴルフ連盟兼関東学生ゴルフ連盟事務局長と、第一事務局長(FUJI XEROX日米対抗担当)に就任し、学生ゴルフがどのような形で運営され、支えられているかを間近で見て、又、自分もそちら側に参加することが出来ました。FUJI XEROX日米対抗の運営では、協賛のFUJI XEROXの方達や共同主催のスポニチの方達と一緒にお仕事をさせて頂き、社会人を半分経験出来たような気がします。
多くの人達との出会いも与えてくれた学連のお仕事をしていなかったら、日本女子学生出場もなかったと思います。私にとって学連から得たものは何物にも変え難いものです。
ゴルフ部と学連、2つの場所で頑張りながら過ごせた私の大学4年間は、大変多くの人達に支えられてきました。家族、部活の仲間、友人、インストラクター、監督、コーチ、顧問、松本会長を初めとする学連の方々など、挙げたらきりがありません。お世話になった人達皆に感謝すると同時に、素晴らしい4年間を与えてくれた「ゴルフ」に感謝したいと思います。 |
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