JAPAN GOLF ASSOCIATION
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JGA ACADEMIC GOLF AWARD
受賞者作文
大学生の部
優秀賞
デフゴルフと私
袖山 哲朗
日本体育大学3年
 私は生まれつき耳が聞こえない聴覚障害者として生まれました。ゴルフを始めたきっかけは、小学3年生の時に父がゴルフ大好きで、一緒に練習場へ行き、ボールを打つ事の楽しさを覚えたのがゴルフとの出会いでした。小学校5年生の時、耳が聞こえなくてもゴルフが出来る事が、スポーツ新聞に載りました。このきっかけで、日本デフゴルフ連盟の理事長の誘いで、日本デフゴルフ選手権を招待させていただいたのが、デフゴルフとの出会いでした。あの時、まだ11歳で子供と大人の差があって、大変でしたが、日本一になりたいという目標が出来ました。そして、中学3年生の時、初めて日本一になりました。その頃、世界デフゴルフ選手権があると知り、日本一の次は、世界一になりたいという新たな目標が出来ました。しかし、年齢制限で18歳になるまで出場できませんでした。高校3年生の時、ついに世界大会へ初出場を果たしました。世界大会INカナダで、初めての国際大会で、4位に入賞しました。惜しくもベスト3に入りませんでしたが、大学2年生の時、世界大会INオーストラリアで、3位タイに入りました。大きな大会で上位に入るのは、大きな自信になりました。次は、2010年8月にスコットランドのセントアンドリュースで開催される予定です。世界一を目指して、頑張ります。

 2008年の世界大会INオーストラリアで、2012年の開催国を決める投票会があり、ほぼ万票で、日本の津カントリークラブで開催決定しました。そのきっかけで、今年から、日本デフゴルフ連盟から協会に変わりました。 津カントリークラブとは深い関わりがあります。1995年、初めての全国身体障害者ゴルフ大会「ザ・チャレンジドゴルフトーナメント」がそこで開催されたきっかけで、1997年、日本デフゴルフ連盟が発足しました。当時、聴覚障害者として始めてのプロゴルファーを目指している人が数人いました。2006年、ついにツアープレーヤーが誕生しました。今までは「耳が聞こえないから出来ない」と理由に挫折する人が多かったが、聞こえなくてもやれば出来ることを証明してみせ、聴覚障害者達に勇輝と希望を与えてくれました。現在、協会はレベル低下、高齢化になりつつあるが、第2プロが出てくるように人材を発掘しながら、全体的に底上げ、活発化しています。

 「ザ・チャレンジド」とは、障害を持つ人を意味する「ザ・ハンディパップト」に替わる言い方をされており、障害からの挑戦を跳ね返す「挑戦者」としての意味で使われています。ゴルフは健常者だけでなく、色んな障害を持った人達も一緒に出来る素晴らしいスポーツである。障害をもっても、前向きに頑張る姿勢は感動します。

 私は障害者ゴルフを通して学んだ事は、何かあっても、途中でくじけることなく、最後まで諦めないで、前向きに頑張ることである。

 目標である世界一になって「あれば出来る」と、みんなに勇気を与えるゴルファーになりたいと思います。

今、現在は日本体育大学のいち学生です。ゴルフ部に在籍し、辛いトレーニングを始め、授業も通常通り受けて、卒業に向けて頑張っています。時には逃げ出したくなる事も多くありますが、耳が聞こえなくても出来るゴルフというスポーツに感謝をしつつ夢に向かって、私の挑戦は続きます。
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