自身初の日本タイトルは目前に迫っていた。2オーバーパー3位タイでスタートした河本徳三朗は、1番でバーディを決めて好スタートを切ると、前半をパープレーで終える。この時点で首位スタートの佐藤弘幸がスコアを崩し、河本は同じ組でプレーする森長進と首位タイに立っていた。「ドライバーが不調だった」という河本は、後半に入り15番までに3ボギーを叩くも、首位をキープ。しかし、河本自身は「16番でパーセーブが出来て、自分が優勝争いに絡んでいるかなと思った」という状態だったという。その直感は当たっていた。この時点で先にホールアウトしていた佐藤和男に1打リードして迎えた17番。「最後までパーを積み重ねることが出来れ
ば」と考えていた河本だったが、ここで一つ目の痛恨のミスを犯す。このホールを3パットのボギーとした河本は、ついに佐藤と同スコアに並んでしまったのだ。最終18番は、河本にとって、バーディも狙えるチャンスホール。しかし、優勝がかかった2メートルのバーディパットは惜しくもホールを外れた。「ハーフターン直後から降りだした雨でグリーンが重くなっていて…それに対応しきれなかった」と振り返る河本に、勝利の女神は背を向けてしまった。この試合でプライベートの行動をともにする仲間の佐藤和男とのプレーオフ。河本はティショットを左のバンカーに打ち込み、5番ウッドの2打目はグリーン手前70ヤードの地点に。やや左足下がりのライから放たれた3打目は、「イメージしていたラインよりも左に出て」ピンまで4メートルの下りスライスラインについてしまった。この難しいラインを外した河本は、佐藤が打った1メートルのバーディパットがホールに沈むのを見届けることしか出来なかった。勝敗が決まった瞬間、佐藤に歩み寄り、笑みを浮かべながら握手を交わし「おめでとう」と佐藤に心から祝福の言葉をかけた河本。しかし、その笑みの奥には、悔しさがありありと見て取れた。河本は1998年の日本シニアでも2位タイに終わっている。「自分の全国大会は2位が指定席のようだよ」11年ぶりに日本タイトル奪取に王手をかけながら逃した瞬間、広島カンツリー倶楽部に降る雨を誰よりも冷たく感じたのかもしれない。
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