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記録づくめの優勝となった。 |
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18番3打目を打ち終え声援に応える |
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「本当に最後まで良く集中できたラウンドでした」と興奮冷めやらぬ表情で三木はラウンドを振り返った。昨日からの肋骨の痛みは、ホールを重ねるごとに薄らいでいき、それとともに、スタート時に立てた「18ホール無事完走」という目標も、「優勝」の2文字に転じていった。「上がり3ホールでは完全に痛みが消えていました。16番で落合さんと並んだのを知って、残りのホールでバーディを取って必ず勝つと集中し直しました」。三木の持つ本来の勝負魂に火がついた瞬間であった。
その後の三木は、すべてのショットをフルショットで攻めに攻めた。16番では、183ヤードを4アイアンで会心の当たりで2メートルにナイスオン。バーディ
は奪えなかったもの、三木の勢いは増していく。そして迎えた18番ホール。「今大会初めてバーディを奪いに行きました。」という三木のティショットは、他の選手より20ヤード前へ。本来の飛距離以上のビッグドライブとなった。残り80ヤードから放たれたアプローチウエッジでの3打目は、グリーン左横、1.5メートルに落ちて止まった。このバーディパットを落ち着いて決めると、「この18番は今年のベストプレーでした」と普段あまり感情を表さない三木には珍しく、片手を高々と上げ大きなガッツポーズでギャラリーに答えた。
史上初の日本女子ミッドアマ、日本女子シニア同年優勝、本大会最多の3勝、最年長優勝、と記録づくめの日本タイトル制覇となった三木。「実は、昨年女子シニアに優勝した時に、同年で女子ミッドも勝てたらすごいだろうな。歴史に残れるかな。やってみたいな、とひそかに思ってたんです。まさか今年できるとは・・・・。」と笑顔を見せる。
34歳でゴルフを始め、43歳で2001年に日本女子ミッドを制し、2003年に同大会2勝目を挙げた三木。同年代の多くの選手は年齢を追うごとにパフォーマンスは下がるものだが、三木は下がるどころかさらに進化を遂げる。シニアルーキー年の2007年には、日本女子アマでマッチプレー進出を果たし、翌2008年、2009年日本女子シニア2連覇、そして今大会を制しJGA公式戦5勝目を挙げた。
三木に、活躍の原動力はどこにあるのか尋ねてみると「ナショナルチームに携わらせてもらってから、選手を指導していく上で、こんな歳になっても、志高く、毎日努力すれば願いは叶うことを身をもって示していければなと思って・・。」と照れながら答えた。(三木は2002年からJGA女子ナショナル強化委員としてナショナルチームの強化・育成に携わっている。)
本選手権の出場者は、さまざまな目標や想いを掲げて参加をしている。三木の出場目的は、本大会に限らず常に「優勝」である。競技は勝つか負けるかと捉える三木。勝者には、最高の喜びと、栄誉が与えられ、敗者には悔しさと次への課題が残る。真摯に物事に取り組む三木は、この目標を達成するために、努力を惜しまない。ここ3年で、ナショナルチームが実践しているハードなトレーニングを毎日2時間実践してきた。4月から中学校へ転任し、多忙を極める日々にも練習を欠かすことはなかったという。
勝つことはうれしい、負けると悔しいから勝てるように努力する。このシンプルな発想で三木はもう何年も努力を重ねてきた。この姿勢は今後も変わらないだろう。強く、高い志とそれに伴う妥協なき「努力」が今の三木のプレーの支えになっている。まさにアスリートの持つ思考と言えよう。
この思考を持ち続ける限り、今後も三木の快進撃は続きそうだ。そんな、三木が身をもって示しているアスリートとして一番大切な姿勢が、次世代を背負って立つナショナルチームに一石を投じることを期待したい。
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