第1ラウンドの18ホールが終わった時点で、32位以内は、1オーバーパーだろうとかなりの選手たちは予想していた。ひょっとしたら2オーバーパーもあるかも知れない。けれども最後はプレーオフで決まるだろう…と。ところが、2日目。ラウンドしている選手たちは「このホールロケーションなら3か4オーバーパーまでいくのではと想定ラインを変えてプレーしていた」(小袋秀人)という。しかも午後から風が強くなってきていた。スコアカード提出所と上位の順位ボードに選手たちが群がる。
「ひょっとしたら5オーバーパー、いや6オーバーパーまであるかも」と戦々恐々と見つめている。
コースで戦っている選手たちが次々にホールア
ウトする。そのたびに32位タイのラインの修正がどんどん現実に近づいてくる。
「4オーバーパーでプレーオフになるらしい」という現実が近づき、5オーバーパーの選手は後ろ髪を引かれるように帰り支度をし始める。
「17番で8メートルのバーディ。18番で3メートルを入れてパー。それでちょうど148。なんとか残れるチャンスを貰った」と)、伊藤誠道は唇を噛み締めた。小西健太は、1打足りなかった。「パットが…」と独り言のように呟いて下を向いた。いつものことだけれど、1打の重みや悔しさ、あるいは幸運…思い起こせば走馬灯のように浮かんでくるそれぞれのゲームの足跡…。その1打の大切さを噛み締めながら、去っていく選手と決勝に進出選手が厳選される。
残りの組数が少なくなるにつれて、4オーバーパーと絞られ、あとは何人のプレーオフになるのかが、注目されはじめた。
結局、9人の選手が29位タイで並んだ。残る枠が、5人から4人に減った。9選手が、2組に分かれて10番ホールからのプレーオフとなった。
1組目には、。皆本祐介、富村真治、池上憲士郎、伊藤有志、そして山口量の5人。2組目には、井関剛義,、伊藤誠道、大塚智之、秋本久成だった。
1組目の選手たちは、山口がダブルボギー。富村と伊藤有志がパー。皆本、池上がボギー。次の組がホールアウトするまで、10番グリーンサイドでその結果を待つ。
パーをとった選手は、次のホールへ進めるという手応えがあった。ボギーは微妙。ダブルボギーの山口は、頭をうなだれた。
次の4選手。井関がボギー。次の伊藤誠道が1メートルを沈めてパー。これで前の組の2人を合わせてパーが3人となった。もうひとりパーを獲れば、ボギー選手は、ここで終わる。続く大塚もパー。秋本もパーとして、5人が18番ホールへ進む。今度は、5人の中で、1人がふるい落とされる。
18番グリーン。最後は、パッティング勝負となった。奥から20メートルといちばん遠かった秋本が1メートルオーバー。次が伊藤誠道の奥からの9メートルがやはり1メートルオーバー。伊藤有志は、手前から6メートルをやはり1メートルオーバー。大塚は5メートルを30センチに寄せて、まずパーとした。
いちばん近かった富村。距離3メートル強。やや下り。自分ではタッチを合わせたつもりのストロークが強く入って1メートル50センチもオーバーして、大ピンチに変わった。
富村は、それも外した…。ほかの4選手は、パーを拾って、決着がついた。
決勝進出する32選手が、決まった。
メダリストの松山は、同じ東北福祉大の4年生・秋本と1回戦で対戦する。
「これは面白いぞ」と仲間たちから冷やかされた。32人中9名が、東北福祉大の選手たちとなった。藤本佳則のいう「仲間だけど、強力なライバル」という図式を見事に物語っていた。
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