首位を走る飯田と3打差の2位タイで最終ラウンドをスタートした田中政佳(北六甲)。「逃げるより追いかける立場のほうが、きっと有利」と思いながら1番ホールをティーオフしたという。しかし、いきなり飯田が1番でバーディを奪って2人の差は4ストロークに。2番では、飯田がダブルボギーを叩いたのに、田中自らもティーショットを左にミスしてボギー。3番ではお互いバーディを奪って、2人の差は、なかなか縮まらず後半のプレーに入った。
先に動いたのは、首位をいく飯田。10番でセカンドショットを約1メートルにつけて田中との差を4ストロークとする。その後、両者ともパーを重ねて迎えた12番(パー5)。優勝を争う2人は
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、フェアウェイからの2打目でグリーンを狙う。田中が「フォローの風、左側のハザード…絶対に左には行かせたくなかった」とグリーン右バンカーの間のラフに打ち込むと、飯田は、ピン方向を積極的に狙う攻めのショットでグリーン左奥のカラーに運ぶ。先にアプローチを打った田中がボギーを叩いたのに対して、飯田は難なくパーセーブ。ここで2人の差はこの日最大となる5打まで広がった。
しかし、田中は諦めることはなかったという。「徐々に風が吹き始めてきていたし、守りに入るのは難しい。飯田さんは崩れる要素はなかったけれど、チャンスはきっと来る」そう思っていた田中に、追い風が吹き始める。ここまで完璧なプレーを見せていた飯田が、優勝争いのプレッシャーからか突如スウィングを乱し始める。飯田が13番でボギーを叩くと、14番ではトリプルボギー。一方の田中は、同じ14番で95ヤードのセカンドショットをサンドウェッジで2メートルにつけてバーディを奪い、両者は通算3アンダーパーで首位タイに並んだのだ。15番(パー3)、グリーン手前の池を嫌がった田中がティーショットをグリーン右に外してパーとしたのに対し、飯田がバーディを奪い返して、再び飯田が1ストロークのリードを奪う。そして迎えた17番。田中は、このホールを「勝負どころ」と読んでいた。「18番でバーディを奪えるか?パーセーブするのさえ難しい。ここでバーディを奪って飯田さんにプレッシャーをかけられれば…」と気合を込めたティーショットはフェアウェイの真ん中に。セカンドショットも完璧な放物線を描いて、ピンまで2.5メートルにつけて、思惑通りバーディを奪う。最終18番。田中の読みは当たった。オナーの田中がティーショットをフェアウェイ右サイドに運んだのに対して、飯田が左のハザードに打ち込み万事休す。この時点で田中の2度目の優勝が確実となった。
初の日本タイトルとなった2006年の日本ミッドアマは、JFE瀬戸内海GC。奇しくも今年と同じ岡山県での開催だった。「自分では気がついていなかったのだけど、みんなにそれを言われて…やっぱり岡山県はゲンがいいんですかね」と笑う田中。実は、この優勝の前日、もうひとつ嬉しいことがあった。「昨日、2人目の子供が産まれたんです。」 新しい生命と、優勝杯。2つの大事なものを手に入れた田中は、幸福感と充実感で満たされていた。「2006年大会で優勝できた年は、結婚した年なんです。今年は子供が産まれて…それも2度とも岡山県でしょ?岡山県は、忘れられない県になりました」と満面の笑み。日本ミッドアマ初優勝の翌年には関西ミッドアマ優勝。「1度目の優勝では自信を得ました。だから、翌年の関西ミッドアマで勝てたと思う」
そう語る田中が2度目の優勝で得たものは何か?「来年の日本アマは地元の奈良国際です。さらにミッドアマも関西の鳴尾ゴルフ倶楽部。地元で全国大会が2つあって、どちらも出場できるのは嬉しいことです。日本アマではベスト4、ミッドアマは連覇。それに沖縄で日本オープンも開催されますよね?そこでも予選を通って、ローアマチュアを獲りたい」2度目の優勝で得たのは、広がる夢と勝利への強い欲求かもしれない。しかし、まずは我が家に帰って、愛しい家族に優勝の報告をして、第二子の名前を考えるのが先になる。
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