尾島純市(南九州)は初出場初優勝がかかった第2ラウンドを前に、緊張を隠せなかった。「昨夜は2時30分に目が覚めてしまって…そこから眠れなかった」と、胸中を吐露する。
眠れぬ夜を過ごした尾島だが、しかし、1番ホールのティーショットは見事な放物線を描いて、フェアウェイの真ん中に飛んでいった。無難にパーでスタートを切った尾島だが、すぐに試練が訪れる。2番ではフェアウェイからの2打目を右に押し出し、あわやOBのピンチ。そこからの3打目もグリーンに乗らずバンカーの縁のラフでボギーが先行。すると、3番(パー3)ではティーショットがグリーン右手前のヤシの木にあたり、アプローチも寄せきれずにダブルボギー
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を叩いてしまう。この時、同組の大川は2番でバーディを奪い、両者の差は1ストロークまで縮まった。しかし、ここから尾島の粘りが発揮される。
生命線のティーショットが安定していた尾島は、8番までパーを積み重ね、スコアを落としていく大川との差を広げていく。このまま、尾島が差を広げるかと思われた展開だったが、当の本人は、全く余裕がなかったという。「ところどころでパッティングの調子が悪くなって。いつものが出始めたかなと」と、尾島を悩まし続けているイップスの症状が出ていたのが、その原因だ。9番ではパーオンしながらも、9メートルのバーディパットを1.5メートルもオーバーさせ、返しのパットも「パンチが入った」と1メートル近くオーバーさせてしまう。このホールを3パットのボギーとした尾島は、永年悩みの種となっているイップスと折り合いをつけるため、荒療治を行った。
9番を終えるまでは、グリップを右手の人差し指と中指の間に挟んで短い距離のパットを打っていたのが、10番に入ると、通常のグリップに戻したのだ。それでも、「気持ち良く打てたパットはなくて。気分によって握りを変えていた。二刀流です」と苦笑い。12番では、右フェアウェイバンカーからの2打目を「残り距離を150ヤードかと思ってショットをしたら、実際は100ヤードで…」というミスで、グリーン奥にあるバンカーのさらに奥まで打ち込む大ピンチ。強い左足下がりの傾斜からのアプローチを前に、ダブルボギーも覚悟しなければならない状況だったが、尾島は絶妙のアプローチでこれを2メートルにつけてパーで凌ぐ。「あのパーセーブがキーポイントだった」と振り返る通り、ここで、試合の流れは完全に尾島のものとなったと思われたが、それを許してくれないのがイップスだった。14番でボギーを叩くと、15番では40センチのパーパットを外して連続ボギー。2位との差は1ストロークまで縮まったが、ここからまたも尾島が粘りのプレーを見せて最終ホールまでパーセーブを続けて、初出場初優勝の快挙を達成した。
「最後まで良く頑張れたと思います」と、コメントを残すが、その表情は複雑。「勝てたけれど、どうしていいのか…騒がないでほしいんです」と戸惑いがみられる。30歳でゴルフを始めてから、ローハンディキャッパーになるまで10年。初めてのクラブチャンピオン獲得はそれからさらに9年と苦労を重ねて、ようやくたどり着いた日本一の座。それを実感できないのも、わからないではない。「今日は、本当に苦しかった。手が動かなくて…」と1日を振り返る尾島。これまでの苦労と今日1日の苦労を天秤にかけることなどできはしないが、間違いなく動かない手で新しい扉をこじ開け、その手で優勝杯を掲げたのだ。
いつか、この日本タイトルが、尾島がイップスを克服する良薬になることを願いたい。
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