通算イーブンパーの首位でスタートした塩月純生(オータニにしき)。全国大会では初めての優勝争いに眠れぬ夜を過ごしたかに思われたが、自他ともに認める相性が良い鳴尾ゴルフ倶楽部ということもあってか「緊張はしていませんでした」と、スタート前から笑顔のリラックスした雰囲気の中で1番ホールのティーショットを放っていった。白球は青空の中をきれいな放物線を描いて、フェアウェイの真ん中に。塩月の言葉は、強がりではなかった。残り120ヤードのセカンドショットはピッチングウェッジで5メートルに。「ショートしないように」しっかりとヒットされた球はホールに沈んだ。幸先よくバーディを奪った塩月は、ここから好調なアイアンシ
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ョットで8番までパーオンを続ける。しかし、「得意ではない」と言うパットが決まらず、3メートルから5メートルのチャンスをことごとく外し、スコアが伸び悩んでいた。しかし、後を追う金子と一瀬もバーディが奪えず、9番ホールを迎えた時点で2位の金子との差は7ストロークまで広がっていた。
このまま、塩月が逃げ切るかと思われた9番。左ドッグレッグのこのホールは、ティーショットでドローを打つ必要がある。フェードヒッターの塩月にとっては鬼門となるこの難ホールで、ティーショットは左へのミス。あわやOBというショットは木に当たり、池のふちに止まった。2打目は小さな竹に当たってしまい、これが池に。トラブル続きの塩月は、このホールでトリプルボギーを叩き、金子との差が一気に4打まで縮まった。このトラブルが後を引いたのか、10番ではフェアウェイ真ん中からの2打目を左にミス。11番もフェアウェイから2打目をトップして連続ボギーとし、3ホールで5ストロークもスコアを落としてしまう。「9番のトリプルボギーはびっくり。焦ってしまって…そこからは、自分で何をやっているのかわからない状態だった」と呆然自失の塩月は、12番でもティーショットをミスして手前のバンカーに打ち込む。金子に傾きかけた勝負の流れをつかみ戻したのは、奇しくも得意ではないというパッティングだった。12番の3メートルのパーパットを前に「何をやっているんだろう…ここまで来たら悔いは残したくないと思って」強めに打ったパットが見事に決まると、14番(パー5)でバーディ。15番では2メートルのスライスラインをねじ込んで、「このパットが大きかった」と振り返る。
16番は塩月にとって2つ目の鬼門である左ドッグレッグ。このホールのティーショットは、「実は9番で暫定球を打った時に、思い通りのドローが打てて。そのイメージが残って」いて、フェアウェイをとらえてパーをセーブしてみせた。「17番まで金子さんとの差はわからなかった」ほど集中していた塩月が優勝を確信したのは、最終ホールのティーショットがフェアウェイをとらえたときだったという。ギャラリーが見つめる中、80センチのウィニングパットを決めた塩月は、右手で力強いガッツポーズを見せた。そして、応援団と握手を交わした時、「ウルッときた」と涙腺が緩んだという。「昨日から、応援メールをたくさん送ってもらって。今日も18番で待っていてくれたみんなの顔を見たら、涙が出そうになった」とはにかむ塩月。「みんなの期待に応えることが出来て」と嬉しさを爆発させた。
15歳でゴルフを始めた塩月は、ゴルフ歴1年でアメリカへのゴルフ留学も経験しプロを目指した。紆余曲折の末にプロへの険しい道は、途中で断念し一時はゴルフへの情熱も冷めかけたものの、20歳から競技ゴルフを再開し、ようやく33歳にして初めての日本タイトルを手に入れた。日本ミッドアマ優勝までの道のりは平たんではなかったが、18番ホールで見守ってくれた応援団の姿は、初タイトルよりも嬉しいものだったのかもしれない。
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