首位と3打差の7位タイから逆転を目指したカヤット 朱美 中田。最終組のひとつ前の第15組でのプレーは、大会7勝目を狙う三木逸子と同組。「三木さんについていこう」という気持ちでスタートしたという。出だしの1番(パー5)。4メートルの上りのラインは「少しフックに見えたけれど、強めにヒットして」見事にバーディ発進。直後の2番(パー3)で1.2メートルのパーパットを外す3パットのミスでボギーとする。その後は、パーを積み重ねたが、中田のティーショットは安定感を失くしていく。7、8番とティーショットを左にミスして連続ボギーを叩いてしまい、前半は38と2つスコアを落としたが、最終組でプレーする首位スタートの
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花井が大きくスコアを落とし、かわりに首位に立った初出場の中村彰子と1打差の2位に順位を上げて後半に臨む。
しかし、中田のティーショットはあいかわらず。10番も左のミスからボギー。ここで優勝争いから脱落したかに思われたが、「練習ラウンドから上手く攻めることが出来て、得意なんです」という12番(パー3)のティーショットを5番ウッドで5メートルにつける。フックラインを見事に読み切った中田は、このホールで起死回生のバーディを奪い、優勝争いに踏みとどまる。上位陣がスコアメイクに苦しむ中、目前のライバルでもある三木もスコアを伸ばせずに大混戦が続く終盤の16番(パー4)で、中田はこれまでミスが続いていたドライバーを手にせず、ユーティリティーでティーショットを放つ。アプローチをミスしてこのホールをボギーとしたものの、「あのホールは、皆さんがドライバーを手にしておられたけれど、ユーティリティーを選んだ自分のジャッジは正解だった。もし、ドライバーでティーショットを打っていれば、ダブルボギーもあったかもしれない」とキーポイントに上げたこのホールを最小限のロスで凌ぎ、この日2バーディ・5ボギーの75でホールアウト。通算9オーバーパーは、三木逸子に1打差をつけてクラブハウスリーダーとなり、最終組のホールアウトを待った。わずかの待ち時間でも、いてもたってもいられなかった中田は、プレーオフに備えてパターを手にしてクラブハウスを出ようとした。その瞬間、最終組のアテストが終了し、中田の逆転初優勝が決まった。自身初優勝が告げられると、「本当に?」と何度も周囲に聞き返し、それが間違いないことを確認すると、大粒の涙を見せて仲間と抱き合った。
嗚咽を漏らす中田に去来したのは、きっと2013年大会のことだったであろう。中田はその大会、16番でホールインワンを決めて単独首位に立ちながら、残り2ホールで3つスコアを落とし、田中真弓とのプレーオフに持ち込まれ、敗れ去った。その後も優勝争いを演じながら、あと一歩手に届かなかったタイトルが自分のものになった瞬間、これまでの思いがこみ上げた。中田の日本タイトルは1979年、80年と連覇した日本ジュニア以来。優勝スピーチでは、「日本ジュニアを連覇して以来、自分が再び日本タイトルを獲れるとは夢にも思ってなかった。それが現実になったことが、信じられません。私は、JGAナショナルチームで海外遠征に連れて行っていただき、育てていただきました。プロ転向をせず、こうしてアマチュアを貫いて、この場に立てることを心から嬉しく思いますし、応援してくれた家族に感謝したい」とあふれる涙とともに語った中田。
この2年は「長かった」とため息とともに振り返るが、2013年には全米女子シニアのメダリストに輝き、今年は同大会で歴代チャンピオンを下してマッチプレー2回戦を勝ち抜くなど、長かった2年間で重ねてきた経験は「彼女たちは自分たちよりゴルフは上手です。でも、自分にも彼女たちと対等に戦える」という自信。「もっと自分も上手くなれる。その努力を続けていける」という勇気を与えてくれたかけがえのないものになった。もちろん、中田はこの優勝だけでは満足していない。「日本女子シニアの出場選手の皆さんは、本当にゴルフが上手いです。三木さんのように飛距離のある選手もいます。自分には、そこまでの飛距離はありませんが、全米女子シニアの時に戦った選手たちのように、マネジメントを磨いていきたい。それに、まだまだ自分のスウィングも直していきたい」と、自身が理想とするゴルフを目指していく。
「これからは、日本女子シニアチャンピオンとして、日本代表として全米の試合に出場していきたい。そして、全米タイトルを…」新たなプライドを胸に、これまで以上に修練を重ねていく決意を新たにし、中田は秋の夕焼けを背にして笑顔で呉羽カントリークラブを後にした。
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