プレーオフ。2ホール目の18番グリーンで、亀代順哉が優勝を決めて歓喜に包まれている中、比嘉一貴は、一足先に・グリーンを離れた。静かに、それでも足取りをしっかりと、1歩1歩歩く比嘉は、孤高の姿のように見えた。クラブハウスへと向かう途中にある練習グリーンの脇を、比嘉は黙って、遠くを見つめるように歩いていた。その背中越しに、亀代は大阪学院ゴルフ部の仲間たちに胴上げされ、その歓声が比嘉の背中にも響いていた。日本アマ、3度目の2位である。
最初は、2012年、奈良国際GCだった。そのとき比嘉は、こう語っていた。「朝から、気持ちだけ焦っていた。これがプレッシャーなのかどうなのか解らないけれど、相手(
|
|
小袋)も簡単に勝てない相手ですし、自分としては、ピンチで粘って、チャンスで獲るという気持ちでやっていました」高校2年生のときである。そして2度目は、2014年、利府GCでの大会。小木曽喬に1downでやぶれた。そのときは、涙が溢れて、止まらなかった。そして3度目の本年大会。比嘉は、通算4アンダーパーの首位タイでスタートして、1番で、いきなりバーディ。4番もバーディをとって通算6アンダーパーまで伸ばした。ところが、6、7、9番とボギーを叩いて、通算3アンダーパーにスコアを落とす。その時、小斉平優和が通算4アンダーパー、亀代、金谷拓実が通算2アンダーパーというポジションで折り返した。後半、11、13番と比嘉がバーディとして通算5アンダーパーまで伸ばす。ホールが進んでいく。一組前の亀代が、9から12番の4連続バーディで通算5アンダーパー。そして17番でバーディとして、通算6アンダーパーで先にホールアウトしていた。比嘉は「17番(パー5)で、もうひとつとらないと追いつかない」と感じていた。ところが肝心の17番でバーディを逃して18番にやってきた。第2打のアイアンショットがグリーンに乗らず砲台グリーンの傾斜をしっかりと刈りこんである手前に転がった。ピンまで残り25ヤードほどのアプローチは、ふわりと上げて寄せるとても難しいショットになる。「あそこからは寄せるのも難しい。ましてやチップインなんてありえない」と選手たちが言うほどの状況でのチップイン・バーディだった。それで、亀代に追いついてプレーオフとなったのである。
「悔しいですけど、それより嬉しくない負け方だと思います。これまで2位になったときとは、まったく違った2位だと思います。僕は、もともとアイアンが得意で、それを軸にゲームを組み立てるタイプなんですけど、そのアイアンも良くなかったし、ドライバーも捕まらない。そういう状態であっても、どうであっても勝たなければいけない、勝つためにここに来ているわけですから、そういう悪条件でも、2位になったということは、自分でも成長したのかなと思うんです」と語った。
比嘉に心の迷いがあったとすれば、6番で、返しのパーパットを外してボギーを叩いたときだった。「これまでの3日間、同じ距離のパーパットを凌いでピンチを逃れていたんです。それを外してから、ふと、相手のスコアを意識してしまったんです。それまでは、競技者としての自分とコースを意識してやっていたんですけど、このボギーで、抜かれたと思ったんですね」その一瞬の揺らぐ心が、結果的に3つのボギーになってしまった。
後半に入って気持ちをもう一度切り替えた。それが11、13番のバーディにつながっていたのだろう。でも、今度は、ショットの調子が改善されない中で、追いつこうとする別の焦りがあったのかも知れない。
「勝ち切れてないですね」と呟いた。でも自分が成長したという実感も感じている。あれだけショットが乱れていても4日間戦えて優勝争いし2位になったという事実である。比嘉は、7月末に全米アマの最終予選会に出場する。そこでまた、新たな試練に挑戦しようとしている彼の姿勢が、逞しい。
|