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[国際競技]
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JGA National Team Official Supplier |
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国際交流事業は(公財)ミズノスポーツ振興財団から助成を受けております。 |
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【初の世界アマを終えた金谷は「毎日なにかしらが悪かった」】 |
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金谷拓実は、最終ラウンドを「我慢していた。感情を出さないと諦めてしまう感覚になった感じもあった。自分を奮い立たさないと、きれそうな1日だった」と振り返った。
日本チームの3人全員が「最終ラウンドで爆発したい」と同じ思いを持ち、仲間を信頼し合ってスタートしたこの日。金谷自身も「1日で5アンダーパーを出せるくらいの準備をしてきた」と、自分自身に期待を抱いていた。しかし、3番で1メートルのパーパットを外してしまうと、9番は3メートルを決めきれず、前半で2オーバーパー。後半に入り、12番で5メートル、13番(パー5)ではバンカーショットを寄せて連続バーディを奪ってみせたが、イーブンパーに終わり、
その期待は無残にも打ち砕かれる結果に終わった。「自分はもっとできると思っていたし、その準備もしてきたつもり。でも、アプローチをミスしたりして、スコアを出すことが出来なかった。4日間、ショット、パット、体調…なにかしらが悪かったからアンダーパーを出すことが出来なかった」と、唇を噛む。
亀代順哉、比嘉一貴と金谷自身のチーム構成は、「このメンバーは日本でトップだと思うし、もっと上(の順位)に行けると思っていた」という自信があったからこそ、この順位を受け入れるのは難しい。
昨年の金谷は、ピンチにも動じない落ち着きと、チャンスにも浮足立たない冷静沈着な選手だった。第100回日本アマを制し、日本オープンローアマチュアを獲得。それも、ともに史上最年少記録を更新する快挙。さらにノムラカップで26年ぶりの日本チーム優勝に貢献するなど充実した1年を過ごした。しかし、栄光に包まれた1年を終えた金谷に求められるものは、彼自身の想像を超えるものだった。「日本でトップのプレーヤーであること。それに見合う結果を求められること」そのプレッシャーを受けた金谷は、葛藤もあったであろう。
その悩みの先に「周囲に期待されているのは、十分理解しているし、自分がそういう存在になったことも呑み込めている。今は、その期待に応えたいと思っているし、それが出来る。そのプレッシャーに打ち勝つために努力を続けていくことが出来ると自分を信じている」という境地に達した。それが、金谷の隠していた闘志に火をつけたのかもしれない。この世界アマでは、昨年までの金谷からは想像もできないほど、自らの感情の発露を抑えることなしに、時に思うようにならない結果に怒りをぶつける姿を隠すことはなかった。それは、ジョーンズコーチからも、高く評価されている。
ただ、今はまだ、その感情をコントロール術を身につけられていない。世界アマで見せた金谷の試みは、決して成功したとは言えないかもしれない。それでも、金谷のこの挑戦は、評価したい。幾度かのトライとエラーを積み重ねた末に生まれてくる強い気持ちをコントロールできるようになれば、金谷が世界の舞台に躍り出ることも可能だろう。
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