木村太一が、混戦から抜け出して、通算10アンダーパーで見事に優勝した。最終ラウンド、前半を折り返して、中島啓太が10、11、12番と連続バーディを獲り、通算9アンダーパーで並んだが、木村はその後も安定したプレーを見せて、16番でもバーディを奪って、通算10アンダーパーでホールアウトした。中島は、後半に崩れて2打差の2位となった。
木村は、今年の中部アマにも優勝している。けれども決して順調に成長してきたわけではない。昨年11月の文部科学大臣杯では、優勝できず、惜しくも2位になっていた。彼にとって、この敗退が、大きな分水嶺だったといえる。「もう勝てないんじゃないか」という苦悶の日々もあった。精神
的にも技術的にも、大きな壁が立ちはだかっていた時期がある。その悶々と過ごしている時期に、小野コーチともじっくりと話し合い、また寮の仲間たちの明るさにも助けられていた。そして、今年の3月から母校である日大ゴルフ部のコーチ役となった内藤雄士プロコーチのアドバイスにも助けられたという。
「ほんとに、いろんな人に助けられました。内藤コーチには、アドレス時の肩甲骨のポジションを矯正してもらって、インパクトでの詰まりがなくなりました」と言っていた。
第1ラウンドで64のコースレコードだした木村は「実力以上のスコアが出てしまっているので、明日からどうしよう」と言うほどの謙虚さと、有頂天にはなりにくい性格の持ち主なのだろう。それが、64、71、72の通算6アンダーパーで迎えた最終ラウンドのスタート前に「優勝スコアは、通算11アンダーパーかなと想定していました。それには66で回る必要があったのですけど、そこまで意識すると窮屈になるので、“とりあえず”通算11アンダーパー目標で、と考えました」と言った。
3番(パー5)で値千金のイーグル。残り190ヤードから5番アイアンで攻めて、3メートルのスライスラインを入れてのイーグル。そして5番(パー3)では6番アイアンで2メートルにつけてのバーディ。6番はボギー。そして8番、バーディ、9番、ボギーの2アンダーパー。通算8アンダーパーで折り返した。
「この時点では、まだ優勝は意識していませんでした。いや、片隅にはあったかな」と素直に話す。そして後半、11番(パー5)は、2オンを狙わず「刻んで、残り100ヤードを3メートルにつけてバーディにしました」そこで、猛追する中島啓太と並ぶことになる。その後、木村は、ずっとパープレーのゴルフが続いた。一方、中島は、3連続バーディのあと2連続ボギーでスコアを落として通算7アンダーパーとなっていた。
難しい16番(パー4)で中島はバーディをとれず、逆に、木村はそこでバーディとして勝負の行方が鮮明になった。最終ホール。パー5。木村は、バーディが狙える距離だった。それを外したのだが「(緊張の中で)外しても優勝できる」と思って打ったそうだ。「18ホール。ともかくパーパットがいちばん緊張していたと思います。ともかく、ホッとしました」と語った。優勝カップを持った撮影が終わったあと、日大ゴルフ部の仲間たちから、胴上げされていた。彼らは、みんな木村の苦悩の時期を目の当たりに見ている仲間たちである。そういえば、最終ラウンドの前日、木村の母親は、ひっそりと伊勢神宮へ祈願へ行っていたという。「これからは、この優勝で実力を過信しがちなところを、ちょっと自重して、またがんばります」と嬉しそうに語っていた。
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