選手たちにとって「次に頑張る」という意識はない。本大会に限って言えば「次」は、1年後だ。また長い1年を待って優勝を目指す。ある選手にとっては、プロフェッショナルの世界へと道を進む者もいる。このタイトルは「優勝」を獲得して、歴史あるトロフィーに自分の名前を刻むという名誉しかない。このタイトルを得ることによって、道が拓けることもある。昨年、中島啓太は「どうしても獲っておかなければいけないタイトル」と言っている。だからこそ、執念深いゴルフする。優勝以外はいらないと思っている」という岡田のコメントがでてくるのだ。1打を怠らない。とはいえ、気温は、日陰で34度。フェアウエイの中は、照り返しを考慮すれば、
楽に40度ほどの暑さになる。その中で、集中を切らさないで18ホール戦い抜くのは、至難の業だろう。
首位の古川とは、2打遅れて最終日をスタートした岡田晃平。スタートの1番で、いきなりバーディを獲った。ところが3番でボギー。6番までずっとパープレー。3人ともにスコアが動いたのは、7、8番のパー5だった。岡田は2ホールともにバーディ。さあに10番でもバーディとして、グイグイと古川にプレッシャーを与えた。12、14番とバーディとし16アンダー。古川に2打差リードした。
続く15番。まさか! という場面が起こった。5577ヤード、パー5。彼らにとっては、バーディを狙える。イーグルも不可能ではない。その場面で、岡田はフェアウエイの絶好の位置から、なんとOB! 本人ばかりか、誰もが目を疑うシーンだった。そこで痛恨のボギー。古川も、バーディを逃し、蝉川だけがバーディ。ここで岡田が、15アンダー。古川が、2メートルほどのバーディチャンスを逃してパー。14アンダー。そして蝉川が、13アンダーと1打、1打がギュッと詰まった。残り3ホール。まだ勝敗は、見通せない。
「今日は、ともかくガツガツいこうと思っていたんです。バーディとれるところは、絶対にとる。まずは、追いついて、追いついたら引き離そうっていう気持ちでした。それが、15番のティーショットまでうまくいっていたんです。ところが、第2打。エッジまで残り275ヤード。ちょうど僕の3番ウッドの距離だったんですね。(そこからピンまで12ヤード)右からの風に乗せようと思って打ったボールが、厚めに入っちゃって……。ナイスOBでした。100パーセントOBだとわかっていたので、すぐに暫定球を打ちました(グリーン・オン)」2打差が、なくなった。「残り3ホールをどう仕掛けるか」と切り替えがついたのは、パッティングを終えたときだった。それまでは、OBという事実が引きずっていたという。「(残り3ホール)僕から仕掛けていくしかないなと思っていました。そうじゃないと、よくてプレーオフに残る程度だろうと思っていました」
続く、16番、パー4。
古川、岡田ともに、15アンダーで並んだ。さらに蝉川もバーディとし、14アンダー。そして17番だ。181ヤード、パー3。岡田は、手前のグリーンエッジ。そこからのアプローチを「スピンをかけようと思ったのが、思ったより(しっかりと)入らずにスピンがかからず4メートルもピンの奥に行き、返しも入らずのボギー」で、古川もボギーとして14アンダーで、最終ホールへと向かった。
「僕は、これまで1打で逃してきた経験が、いくつもあるんです、ですから、1打の大切さは、いちばんよく知っていると思います。ですから、18番の第1打も、絶対に左に行かせないボールで、しっかりと振り切って(軽いフェード)で、右のファーストカット」に運んだ。ファーストカットならば、第2打。ピンが奥に切ってあっても手前から転がして寄せていける可能性があるからだった。そのとおりにピン手前4メートルにつけた。岡田は、3オンだった。「もう暑さと緊張で、ラインもしっかりと読めないくて……。でも、最後は、タッチだけ合わせようと、カップ2つ外して打ちました。」見事に入った。1打差の優勝だった。
前夜、東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督から電話が入ったという。「明徳義塾(高校)の出身者で日本アマ獲った人間はいない(松山英樹も明徳出身)んだから、初めて穫れるチャンスだよ」と言われたという。この日本アマで四国出身の選手の優勝は、過去に1人いる。2016年度のチャンピオン亀代順哉(徳島県)である。そして、岡田晃平(高知県)が、二人目となった。
「いろんな人に感謝ですね。ちょうど1年生のときから、2年生までコロナで学校封鎖とかあって、練習も合宿もままならなかったし。でも、その間、広島の叔父さんのところに世話になって、小さいころから世話になっているのですけど、今回も、車を貸してくれたり、そこから通っていい環境で戦えました。」と、言っていた。
18ホール。飲んだ水分は、ペットボトルは6本。酷暑の中で戦い抜き、見事にチャンピオンとなった岡田晃平。栄光のトロフィーに「2022 K.Okada」と刻まれる。
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