激しい優勝争いが続いていた。最終組の2つ前の岡田晃平がスコアを伸ばし迫ってくる。さらに、岩井光太と鵜瀬璃久が首位グループに迫る。1打1打を見逃せない展開。
「最後の5ホールが勝負になる」と前日語っていた津田浩平の言葉通りの流れだった。その津田は、波に乗り切れずにいた。優勝争いは、岡田、そして最終組のひとつ前の鵜瀬、岩井。さらに最終組の中野麟太朗、杉浦悠太に絞られた。14番を終えて、中野と鵜瀬が通算14アンダーパー。岡田が通算13アンダーパー。杉浦と岩井が通算12アンダーパーだった。その鵜瀬が、16番でバーディを獲って通算15アンダーパー。一組前の岡田も通算14アンダーパーとした。すると中
野が15、16番でバーディをもぎ取り通算16アンダーパー。先にホールアウトした岡田は、通算14アンダーパーで終了。鵜瀬も通算15アンダーパーのままプレーを終えて、最終組を待った。首位の中野とは、1打差。中野の18番の結果待ちとなった。
鵜瀬は、万が一のプレーオフに備えて練習グリーンへと向かった。パッティングを真剣にするわけではなかったけれど、ワンチャンスの可能性を期待していた。鵜瀬は、通算10アンダーパースタートで中野とは3打離れていた。2番でバーディ。3番でボギー。そして5、7、9番とバーディを積み重ね、後半は14、16番とバーディをと獲っていた。「惜しむらくは、10から13番ですね。バーディチャンスがほとんどなかったんです。耐える時間でした。
でも、その耐える時間をパープレーで切り抜けられたからこそ、そのあとの2バーディに繋がったのだと思います」優勝争いにいると知ったのは、16番にやってきたときだった。同スコアだと聞かされた。その16番(パー5)のティーショットを3番アイアンで放ち、第2打は残り264ヤードを3番ウッドで4メートルにつけた。「抜け出すチャンスだったんです。でもそのイーグルチャンスを外してバーディ」。鵜瀬は、通算15アンダーパーのまま18番ホールにやってきた。
「今日のピンの位置はシビア(手前から9ヤード。左から5ヤード)で2打地点からグリーン面が見えませんでした。ボールは左手前グリーンエッジ。そこからパーを獲るのがいっぱいいっぱいでした。緊張していたんです。バーディを狙うというよりも、なんとかパーで終わらせることしかできませんでした」その流れで、中野の結果を待っていたのだ。
プレーオフが決まったときは「正直、ラッキーと思いました。途中は、そうなったらなったで、やるしかないと思っていたんです。それがいざ決まって、練習グリーンから1番のティーイングエリアに向かって歩いている途中から、身体がガチガチになってくるんですよ。いざショットをしようとしたときは、もうガチガチがマックスでした。自分が日本アマでプレーオフをやってるということがね。すごいことですよね」と鵜瀬は語った。鵜瀬は、プレーオフ3ホール目で敗れた。
中野が2オンのバーディチャンスにつけ、鵜瀬は3打目のアプローチを残した。そのショットは、素晴らしかった。あわやと思うラインでカップに迫った。ボールは無情にもカップをわずかに外れた。中野のバーディで幕が閉じた。人生初のプレーオフだと言った。帝京大学ゴルフ部所属だけれど、大学1年生のときにQTを受験して失敗した。学連の規則で、受験経験者は、登録できないという項目がある。鵜瀬は、違う道のりで学生アマチュアを経験している。
「ここまで頑張って、日本アマでこういう成績になったことは、大きな自信につながります」と語った。鵜瀬璃久(うのせ・りく)これからも、この名前がさまざまな大会で出てくるに違いない。
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