前日、コーチでもある父親の英治さんと電話で話したこと、聞いたことが最終ラウンドに実践できた。「4打差あっても、どうなるかわからない。まだ、結果がでたわけじゃないんだから、自分がどこまで(スコアを)伸ばせるか、ひとつずつバーディを積み重ねて、最後まで集中していきなさい」。それが父親からのアドバイスだった。
2番(パー5)で100ヤードの第3打がピンにからんで最初のバーディを奪った。“手応えあり”であった。「前日に感じていた自分の好調さは、そのまま続いていると確信できました。68をマークした前日のゴルフでは、(距離に対して)大きめのクラブを手にして、軽く打つ。でもインパクトはしっかり作ってラ
インをだしていく」という策がうまくいった。最終ラウンドも、それを続ければいい。そう考えて迎えたこの日。3番では1メートル、4番では3メートルのチャンスにつけて、2番から3ホール連続バーディが決まった。これで、流れは作れたし、あとは、それに乗り続ければいい。前半は2ホールのバーディを加えて通算13アンダーパーとなって後半にターンする。10、13番のパー5ホールでもバーディが決まった。これで通算15アンダーパーとなったが、中村は、なおも前を見続けていた。
「前の組(最終組)からも小さな歓声があがっていたので“あちらもスコアを伸ばしているのだろうな…”と思っていました。だから、こちらも、もっと伸ばそうということにだけ意識を集中して、変わらないペースで最後までやり切りました」
16、18番でもバーディを奪って通算17アンダーパーにまでスコアを伸ばしてのホールアウトとなった。気がつけば、先月マークした自己ベストの8アンダーパーを早々と塗り替えていた。
グリーンサイドで待っていた顧問の先生から「おめでとう。優勝だよ」と教えられて逆転優勝できたことを知った。
「実感はありませんでした。なんかベストを尽くせたことへの達成感みたいなものはありましたけど…。そちらの方が大きかったようにも思います」
中学生時代から高校3年の現在まで続けてきた日本ジュニアへの出場も、これが最後。まさに有終の美を飾っても、それよりやり切れたという思いが優勝の喜びの前にあった。
父親はじめ、薄暮の練習に協力してもらった郷里・山口県の湯田CC関係者、練習場関係者など、お世話になった人々の顔が浮かんできてようやく優勝した実感が湧いてきたという。それと日本ジュニアを通して「大好きになった」という霞ケ関カンツリー倶楽部にお礼ができたような気がしてほっとしたこともあった。
この後は、日本女子オープンゴルフ選手権最終予選会への挑戦、1次をクリアしているプロテストも2次が控えている。この日のゴルフのように「ひとつずつ結果を積み重ねていこう」と、気持ちを新たにする中村であった。喜びは浸るものではなく、一瞬味わうもの。まだ、長い戦いが待っている。
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