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【2015年度(第100回)日本アマチュアゴルフ選手権 プレイバック①】

神戸ゴルフ倶楽部とニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーションの対抗戦をきっかけに1907年に創始された日本アマチュアゴルフ選手権。途中、太平洋戦争による中断がありましたが、2015年に第100回大会を迎えました。この年は、100回記念大会として、東西予選会を開催し、本選ストロークプレーを兵庫県三木市の廣野ゴルフ倶楽部と兵庫県小野市の小野ゴルフ倶楽部で実施。36ホール・ストロークプレーで上位64名を選出し、廣野ゴルフ倶楽部でマッチプレーを行いました。この大会で優勝を争ったのは、17歳51日の金谷拓実と15歳19日の中島啓太。どちらが優勝しても史上最年少記録を更新する記念大会にふさわしい記録に残る決勝を制したのは、金谷拓実。その後、金谷と中島はJGAナショナルチームメンバー入りを果たし、金谷は世界アマチュアランキングで松山英樹に次ぐ日本選手2人目の1位に。一方の中島もアジア競技大会で個人・団体金メダルを獲得するなど、世界を舞台に活躍する選手に成長しました。日本男子アマチュアゴルフ界の新しい潮流を感じさせた第100回日本アマチュアゴルフ選手権を3回に渡ってお届けします。第1回は、マッチプレー進出をかけた36ホール・ストロークプレーの模様を振り返ります。

2015年の日本アマチュアゴルフ選手権は、第100回記念大会として各地区ゴルフ連盟主催アマチュアゴルフ選手権からの通過者を増員した他、東西2会場での予選会を開催。総勢218名が男子アマチュアゴルファー日本一の座を争った。本選手権には、歴代優勝者にも出場資格が付与され、1981年大会優勝の内藤正幸、1982年大会優勝の金本勇、1985年大会優勝の中川隆弘、1989年大会優勝の尾家清孝、2000年大会優勝の和田博の5名の歴代優勝者が出場し、第100回大会に華を添えた。出場選手は2日間、両倶楽部で各18ホール・ストロークプレーを行い、36ホールの合計スコアで上位64名のマッチプレー進出者を決める。

第1ラウンドは雨の中でのスタート。午後には晴れ間も見えた両倶楽部だが、日本屈指の難コースの廣野ゴルフ倶楽部と小野ゴルフ倶楽部は容易に選手の攻略を許さなかった。その中で、廣野ゴルフ倶楽部でプレーした選手では、杉山知靖、佐藤太地、金谷拓実、小野ゴルフ倶楽部では勝俣陵と蓮見篤、特別承認選手のYung-Hua Liu(チャイニーズタイペイ)の合計6選手が3アンダーパーをマークして、首位タイに並んだ。
この中で注目を集めたのは、杉山。東京ゴルフ倶楽部が舞台となった2013年大会で大堀裕次郎に敗れてランナーアップに終わったものの、得意とするユーティリティクラブの正確無比なショットと冷静沈着なプレーは、ひときわ光っていた。杉山は、2年前のリベンジはもちろんのこと、第100回大会に心に期すものがあった。それは、杉山が敬愛してやまない日本アマチュアゴルフ界のレジェンド中部銀次郎が愛した廣野ゴルフ倶楽部でのプレーだった。その中部は廣野ゴルフ倶楽部の攻略として1番からの4ホールをあげている。中部は「自分にとってスタートの1番はバーディを獲りたいホール。2、3番は苦手でボギーもある。最悪でも4番までを1オーバーパーで凌げば、バーディが獲りやすい5番、さらに8、9番と良い流れでプレーを進めることができる」と述懐していた。この日の杉山は、中部の言葉を胸に刻みながら、1番から4ホールとパーを続け、5、7番でバーディ。後半も10、16番でバーディを奪い、ボギーは12番だけという安定したゴルフをみせた。ゴルフへの道に導いてくれた父親も中部の大ファン。その影響を受けた杉山自身も中部の著作をすべて読破しているという。現代でも中部イズムを継承しようとしている杉山が、中部が愛した廣野ゴルフ倶楽部で躍動した1日となった。

第1ラウンドを終えて、首位と3打差のイーブンパーまでに42名、さらにマッチプレー進出の64名の当落線上となる59位タイには28名がひしめく大混戦の中でスタートした第2ラウンド。昨日とは一転、早朝から夏の日差しが差し込み時間を追うごとに上がる気温と歩調を合わせるかのように、メダリストとマッチプレー進出者を決める勝負のラウンドは熱を帯びた。
メダリスト争いは、廣野ゴルフ倶楽部でのプレーとなった阿久津未来也が出色のプレーを見せた。小野ゴルフ倶楽部での第1ラウンドは1オーバーパーで43位タイと出遅れた阿久津だったが、1番でバーディ発進を決めると、3番、そして6番からの3連続バーディ。4番でボギーを打ったものの、前半だけで4つスコアを伸ばすと、一気に勢いに乗る。後半も11、12番、16、17番で2度の連続バーディで廣野ゴルフ倶楽部のアマチュアコースレコードを更新する8アンダーパー、64を叩き出して、通算7アンダーパーの首位タイでマッチプレー進出を決めた。「自分のゴルフの生命線はパッティング。前日の小野ゴルフ倶楽部ではショットの調子は良かったんですが、パットが決められなくて…36パットでした。今日は3~4メートルのパットが決まってくれて、26パット。この難しい廣野ゴルフ倶楽部で、そして日本アマという舞台で64を出せたことが嬉しい」と、廣野ゴルフ倶楽部から贈られたコースレコード賞を手に満面の笑みを浮かべた。
もうひとりのメダリストは、小野ゴルフ倶楽部をプレーした村山駿。首位と1打差の7位タイからスタートした村山は、切れ味鋭いアイアンでバーディを量産。8バーディ・3ボギーの5アンダーパー、67をマークして阿久津とともにメダリストを分け合った。2013年の日本学生ゴルフ選手権を制し、学生日本一の座についた村山だったが、その後は苦しいシーズンを送ってきた。自分も波に乗っているのはわかっている。周囲も自分の成績に期待を寄せている。それを一身に背負い臨んだ2014年の日本アマでは、34位タイでよもやのカット。連覇を狙った日本学生では28位タイと成績は振るわなかった。その中にあっても、村山は腐ること無く練習を積みアイアンショットの精度を高めてきた。その成果が、第100回大会でのメダリスト獲得という結果に現れて、失いかけた自信を取り戻しつつある。柔和な表情に隠れているが、勝負師の眼差しを見せる村山の復活劇の始まりを予感させる1日となった。
メダリスト争いの一方で、マッチプレー進出の最後の枠を決めるプレーオフも熾烈を極めた。36ホール・ストロークプレーを終えて、通算4オーバーパーの63位タイには18名。ここから2名の進出者を決めるプレーオフは、大会3日目に廣野ゴルフ倶楽部の16番、17番ホールの繰り返しで行われた。歴代優勝者の小木曽喬、ベテランの谷本伊知郎、金子光規らも臨んだプレーオフは、1ホール目で高橋彗がバーディを奪って勝ち抜けを決め、ボギーを叩いた9名の脱落が決定。4ホール目で吉田好輝と石坂友宏の2人に絞られたが、この2人のプレーオフを制して最後の1枠に滑り込んだのは吉田。プレーオフ最後のホールとなった17番のグリーン上で両者が健闘を称え合ったのは、プレーオフ開始から3時間後だった。

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