2022年ソニーオープン・イン・ハワイに初出場した中島啓太は、通算10アンダーパーの41位タイで大会を終え、PGAツアー挑戦で多くの成長の糧を手にした。
第1ラウンド、第2ラウンドと順調なプレーを見せて、予選を通過した中島。世界アマチュアゴルフランキングNo.1の実力を証明してみせた。しかし、ムービングサタデーの第3ラウンドになると、グリーンの左右手前奥と振られたホールロケーションに苦戦を強いられる。PGAツアーの猛者たちが果敢に攻めてスコアを伸ばす中、中島は「怖さ」にとらわれていた。「打つ前までは、ピンを狙いたいと思っていたけど、アドレスを取る時に不安や怖さが出てきた。これまでも、同じような感情が出てくるときがあったが、ここまで強く感じたのは初めて」と大会後に振り返り、PGAツアーの世界基準を肌で感じることとなった。それでも、心身ともに疲労もある中で、全力を出そうと決めて臨んだ最終ラウンドに5バーディ・2ボギーの3アンダーパーをマークし、41位で大会を終え、安堵の表情を見せた。
今年の大会は、松山英樹が、1983年の青木功以来、39年ぶりの日本人優勝を果たした。大会前にも言葉を交わした松山と中島。中島は、JGAナショナルチームの大先輩であり、マスターズチャンピオンである松山の試合が近づくに連れて集中を高めていく姿はもちろんのこと、その全ての立ち居振る舞いを、感じ取っていた。
中島は、最終ラウンドの自身のプレーを終えると、松山がプレーする最終組にハーフターンから同行。同組で回るRussel Henleyと松山はこの時点で5打差があったが、完全にゾーンに入った松山の戦いぶりを間近で観戦し、「すごい攻めている。ピンを狙っていくプレーは、見ているお客さんにとっては本当に興奮しますね」と、第3ラウンドに感じた自分の葛藤と照らし合わせるように、松山を応援した。そして鬼気迫る松山は、まるで応援にきた中島に、背中で強烈なメッセージを送っているかのようにも感じた。
プレーオフを制し、18番グリーンから降りてくる松山を待ち構える中島。二人だけで交わす言葉。その中には、先輩への尊敬と憧れ、そして、PGAツアー挑戦に向けて歩み出しした後輩への励ましと温かさが溢れ出ていた。
今年のソニーオープン・イン・ハワイは、PGAツアーにおける、日本人選手飛躍の新時代の始まりを感じさせる大会となった。小平智は、通算15アンダーパーの12位タイでシーズンオフからのスウィング改造に手応えを感じ、上位に食い込んだ。また、予選落ちとはなったが、昨年、松山と東京五輪で代表となった星野陸也。中島と共にナショナルチームを過ごした金谷拓実。そして予選会を通過してきた石過功一郎。様々な選手が、それぞれの道を歩みながらも、このようなステージで日本を代表して共に戦う。その繋がりで、お互いを支え合い、また時には激しく刺激しあい、さらなる高みへ到達するためのエネルギーを生み出している。
アジアパシフィックシニアチャンピオンシップは11月1日、ベトナムのVINPEARL GOLFで最終ラウンドを行い、平林治子と内山汐里が出場した女子日本チームは通算17オーバーパーで優勝のオーストラリア…
公益財団法人日本ゴルフ協会(JGA)は創立100周年を記念して、創立日の10月17日にゴルフの史実を明確に振り返る記事と記録の閲覧が可能なホームページ「GOLFPEDIA」(ゴルフペディア)を開設した…
日本オープンを担当するレフェリーには定年(70歳)があります。レフェリーは毎年、規則知識をアップデートしなければならないだけでなく、体力的にも非常にタフな任務であること、そして世代交代をしていくために…