2025年1月14日、陳清波氏が敗血症のため93歳でご逝去されました。
陳清波氏は1931年10月に台湾の淡水で生まれ、16歳から生家近くの淡水GCで働き、その後プロゴルファーとなりました。1956年には全英オープンに出場すると1959年には埼玉県の東京ゴルフ倶楽部所属となり活動の場を日本に移して同年の日本オープンゴルフ選手権で初優勝を飾りました。1964年には日本シリーズを制するなど日本国内での活躍はもとより、台湾代表としてワールドカップ出場、マスターズには6度出場し1963年大会で15位となるなど優秀な成績を残しました。
陳清波氏は後進の指導にも熱心で、自身のゴルフ理論をまとめた著書の「近代ゴルフ」は、多くのゴルフファンの心を捉え、「ダウンプロー」という言葉は、陳清波氏の美しいスウィングの特徴として広く日本国内に浸透しており、2014年にはレジェンド部門で日本プロゴルフ殿堂入りを果たされました。
JGA創立100周年となった2024年の日本オープンゴルフ選手権(東京ゴルフ倶楽部)では、歴代優勝者の一人としてチャンピオンズディナーにご出席いただき、ナショナルオープンでしのぎを削った戦友と談笑され、後輩たちにも貴重なお話をしていただくなどお元気なお姿を見せていただいておりましただけに、このたびの訃報に接し驚くとともに、大変寂しく思います。
陳清波氏の日本ゴルフ界発展に多大なご貢献に敬意を表しますとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。
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