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大会のみどころ
2015年度(第27回)ノムラカップ アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権
本年度の日本代表選手団

日本代表は過去ノムラカップで8度(1963、1965、1971、1975、1979、1981、1987、1989)の優勝を果たしています。
本年度の日本代表選手は、高校生2名、大学生2名を選考。ノムラカップ9度目の優勝を目指して、強豪国の代表選手としのぎを削ります。
石徳 俊樹(大阪学院大学3年)

今年3月に行われたニュージーランドストロークプレー選手権で日本選手初優勝を果たして注目を集めた石徳俊樹(大阪学院大学3年)が日本代表として初めての国際競技に出場します。
石徳は、日本アマチュアゴルフ選手権でも安定したプレーを見せて3位、日本学生ゴルフ選手権も9位タイと好調を持続しています。最新の日本アマチュアゴルフランキングは6位と、着実に成長を続けている選手です。ショートゲームを得意とする石徳は、松原とともに高校生コンビを牽引するプレーが期待されます。
片岡 尚之(札幌光星高校3年)

今年のネイバーズトロフィーチーム選手権に続いて日本代表に選考された片岡尚之(札幌光星高校3年)。昨年は、日本アマチュアゴルフ選手権でベスト8に入り、日本ジュニアゴルフ選手権で初優勝。ダイヤモンドカップでローアマチュアを獲得するなど、一気にその才能が開花した1年になりました。
今年は、全国大会での優勝はありませんが、オーストラリアンアマチュアゴルフ選手権でベスト16、日本アマでもベスト32に入るなど安定した成績を残しています。ショートゲームを武器に安定したプレーをするのが身上の片岡は、金谷とともにチームのポイントゲッターとしての活躍が期待されます。
金谷 拓実(広島国際学院高校2年)

今年、第100回記念大会の日本アマチュアゴルフ選手権で史上最年少記録で初優勝を果たした金谷拓実(広島国際学院高校2年)。日本ジュニアでは8位タイに終わりましたが、初出場の日本オープンでは、第2ラウンドを終えて2位につけ、最終的に11位タイで史上最年少ローアマチュアを獲得し、その能力の高さを改めて示しました。
ショートゲームとパッティングでスコアメイクする金谷。そのプレー振りは、17歳とは思えない落ち着きを感じさせます。チーム最年少ながら、9度目のノムラカップ優勝のカギを握る選手であることは間違いありません。
松原 大輔(日本大学3年)

2014年日本アマチュアゴルフ選手権メダリストの松原大輔(日本大学3年)が初の日本代表に選考されました。
本年はオーストラリアンアマチュアゴルフ選手権と日本アマチュアゴルフ選手権でベスト32と安定した成績を残してきた松原。9月の国民体育大会の成年男子の部で個人優勝を果たし、上り調子でノムラカップを迎えます。石徳とともに、チームのまとめ役としての役割も担います。

開催コース紹介
中東地域で最初に作られたリンクスコースとして知られるYas Linksは、世界でも有数な設計家であるカイル・フィリップス氏が最初に設計を手掛けました。コースは、波打つ丘と萬グルーブ農場の中に位置し、コースからは美しいアラビア湾が見渡せます。

Yas Links:https://www.yaslinks.com/

ノムラカップとは
アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)が主催する、現在アジア太平洋地区で開催される公式戦の中では最も規模の大きいアマチュアチーム選手権で、同地区のゴルフ界の発展に寄与することを目的に隔年で開催されています。

本選手権の発足は、1962年に川奈GCで行われた世界アマチュアゴルフチーム選手権の際にフィリピンのマニュエル ディンド ゴンザレス氏から日本・台湾・フィリピンの3カ国の間で対抗戦を行うのはどうかとの提案があったのにさかのぼります。 その提案を受けた当時のJGA副会長野村駿吉氏と台湾の代表者と協議した結果、1963年にフィリピンで日本、台湾、フィリピンが参加して第1回アジアアマチュアゴルフチーム選手権を開催しました。
「ノムラカップ」の由来は、野村駿吉氏が果たしたアジアアマチュアゴルフ界への貢献の偉業を称えてつけられたもので、第1回大会は日本が優勝を果たしています。1977年には、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアがAPGCに加盟したことを受け、競技名称を現在の「アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権」に変更し、現在に至っています。なお、日本は過去8度の優勝を数えています。

アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)
   1963年に発足。現在36の国と地域が加盟。
オーストラリア バーレーン バングラディシュ ブータン 中国
フィジー グアム 香港 インド インドネシア
イラン 日本 韓国 マカオ モンゴル
マレーシア ネパール ニュージーランド パキスタン パプアニューギニア
フィリピン カタール 台湾 サモア シンガポール
スリランカ タイ アラブ首長国連邦 ミャンマー レバノン
カンボジア オマーン クック諸国 サモア サウジアラビア
キルギスタン ラオス ベトナム    

野村駿吉氏の紹介
明治22(1889)年生まれ。父親の竜太郎氏は、日本の鉄道事業における先駆者といわれた人物。

駿吉氏は、明治44(1911)年に神戸商高を卒業後、大正2(1913)年に三井物産ニューヨーク支店に勤務。このころ、ゴルフを覚え、大正11(1922)年からはテキサス州で石油採掘に従事し、翌年に日本に帰国。帰国後は東京ゴルフ倶楽部の会員となり研鑚を積み、昭和2(1927)年に日本アマチュアゴルフ選手権競技に優勝した。
昭和10(1935)年には、関東ゴルフ連盟の設立を果たし、関東アマを創設するなど、戦前の日本のゴルフ発展に寄与した。
戦後は、昭和23(1948)年に東京ゴルフ倶楽部理事長に就任すると、翌年には関東ゴルフ連盟を再建、JGAの復活にも尽力した。
昭和32(1957)年には霞ヶ関カンツリー倶楽部でのカナダカップ開催にも尽力し、日本のゴルフブームの礎を築いた。

昭和38(1963)年、73歳で死去。

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