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大会のみどころ
2017年度(第28回)ノムラカップ アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権
本年度の日本代表選手団

日本代表は過去ノムラカップで9度(1963, 1965, 1971, 1975, 1979, 1981, 1987, 1989, 2015)の優勝を果たしています。
本年度の日本代表選手は、大学生3名、高校生1名を選考。ノムラカップ4度目の連覇を目指して、強豪国の代表選手としのぎを削ります。
今野 大喜(日本大学3年)

今年の日本アマチュアゴルフ選手権で優勝争いの一角に食い込み、地元岐阜県で開催された日本オープンゴルフ選手権でも第1ラウンドで5位タイスタートを切るなど潜在能力の高さを示した今野大喜(日本大学3年)が初めて日本代表として国際競技に臨みます。
今野の武器は平均290ヤードを誇るドライバーショット。攻撃的なプレースタイルで、日本チームの連覇に貢献が期待されます。
また、明るい性格でムードメーカー的存在の今野には、厳しい戦いも予想される本選手権でチームをもり立てる役割も担います。
大澤 和也(日本大学3年)

大混戦となった今年の日本アマチュアゴルフ選手権を制した大澤和也(日本大学3年)が、ナショナルチャンピオンとして日本代表に選考されました。
切れ味鋭いアイアンショットと冷静なコースマネジメントでスコアメイクする大澤のプレースタイルは、日本チームに落ち着きをもたらすことでしょう。
ライバルであり友人でもある今野とともに、連覇に向けてチームをまとめる選手です。
金谷 拓実(東北福祉大学1年)

第100回日本アマチュアゴルフ選手権を史上最年少で優勝し、一躍ナショナルチームの中心選手となった金谷拓実(東北福祉大学1年)。前回大会で優勝を経験した一人として、日本チーム連覇のカギを握る選手です。
本年の日本オープンゴルフ選手権では、池田勇太との優勝争いを演じ、第1回大会以来のアマチュア優勝も期待される好プレーを見せて2位入賞を果たした金谷。得意のショートゲームとパッティングに加え、勝負所での集中力で、エースとして日本チームを大会連覇に導くことが期待されます。
中島 啓太(代々木高校2年)

第100回日本アマチュアゴルフ選手権で金谷と史上最年少優勝を争った末に、惜しくもランナーアップに終わって以来、日本オープンゴルフ選手権では史上初めてアマチュア予選会「ドリームステージ」から本選への出場を果たすなど、右肩上がりの成長曲線を描いてきた中島啓太(代々木高校2年)。
本年は、JGAナショナルチームU-17の一員として国際競技にも数多く派遣され、APGCジュニアではチーム戦3位入賞、デュークオブヨークヤングチャンピオンズトロフィーでは2位入賞とアジア太平洋地域や英国のリンクスなど様々な環境の中でも好結果を残してきました。JGAナショナルチームの次代を担う選手として、ノムラカップでも得意のショットでチームに貢献したいところです。

開催コース紹介
Sungai Long Golf & Country Clubは、ジャック・ニクラウスの設計でマレーシアで初めてのインターナショナルなゴルフコースとして知られています。160エーカーの広大な土地に配された18ホールには、ハザードやバンカーなどジャック・ニクラウスが仕掛けた罠が巧みに配されている、高い戦略性を誇るチャンピオンコースです。

Sungai Long Golf & Country Club:http://www.slgcc.com.my/

ノムラカップとは
アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)が主催する、現在アジア太平洋地区で開催される公式戦の中では最も規模の大きいアマチュアチーム選手権で、同地区のゴルフ界の発展に寄与することを目的に隔年で開催されています。

本選手権の発足は、1962年に川奈GCで行われた世界アマチュアゴルフチーム選手権の際にフィリピンのマニュエル ディンド ゴンザレス氏から日本・台湾・フィリピンの3カ国の間で対抗戦を行うのはどうかとの提案があったのにさかのぼります。
その提案を受けた当時のJGA副会長野村駿吉氏と台湾の代表者と協議した結果、1963年にフィリピンで日本、台湾、フィリピンが参加して第1回アジアアマチュアゴルフチーム選手権を開催されました。「ノムラカップ」の由来は、野村駿吉氏が果たしたアジアアマチュアゴルフ界への貢献の偉業を称えてつけられたもので、第1回大会は日本が優勝を果たしています。1977年には、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアがAPGCに加盟したことを受け、競技名称を現在の「アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権」に変更し、現在に至っています。なお、日本は過去9度の優勝を数えています。

アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)
   1963年に発足。現在36の国と地域が加盟。
オーストラリア バーレーン バングラディシュ ブータン 中国
フィジー グアム 香港 インド インドネシア
イラン 日本 韓国 マカオ モンゴル
マレーシア ネパール ニュージーランド パキスタン パプアニューギニア
フィリピン カタール 台湾 サモア シンガポール
スリランカ タイ アラブ首長国連邦 ミャンマー レバノン
カンボジア オマーン クック諸国 サモア サウジアラビア
キルギスタン ラオス ベトナム    

野村駿吉氏の紹介
明治22(1889)年生まれ。父親の竜太郎氏は、日本の鉄道事業における先駆者といわれた人物。

駿吉氏は、明治44(1911)年に神戸商高を卒業後、大正2(1913)年に三井物産ニューヨーク支店に勤務。このころ、ゴルフを覚え、大正11(1922)年からはテキサス州で石油採掘に従事し、翌年に日本に帰国。帰国後は東京ゴルフ倶楽部の会員となり研鑚を積み、昭和2(1927)年に日本アマチュアゴルフ選手権競技に優勝した。
昭和10(1935)年には、関東ゴルフ連盟の設立を果たし、関東アマを創設するなど、戦前の日本のゴルフ発展に寄与した。
戦後は、昭和23(1948)年に東京ゴルフ倶楽部理事長に就任すると、翌年には関東ゴルフ連盟を再建、JGAの復活にも尽力した。
昭和32(1957)年には霞ヶ関カンツリー倶楽部でのカナダカップ開催にも尽力し、日本のゴルフブームの礎を築いた。

昭和38(1963)年、73歳で死去。

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