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JGA選手育成強化事業は、競技力向上事業助成金を受けて実施されています。
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大会のみどころ
2022年度(第29回)ノムラカップ アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権
本年度の日本代表選手団

新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、2017年以来の開催となる本選手権。日本代表は過去ノムラカップで9度(1963,1965,1971,1975,1979,
1981,1987,1989,2015)の優勝を果たしています。今大会から各チームメンバーが4名から3名に変更され、より個人の実力が求められることになりました。日本チームは、大学生1名、高校生2名の若いチーム編成で、本選手権10度目の優勝を狙います。
大嶋 港(関西高校2年)

2021年日本ジュニアゴルフ選手権男子15~17歳の部を制し、本年JGAナショナルチームメンバー入りを果たした大嶋港が、初のJGA派遣国際競技日本代表に選考されました。
地元中国地区では、4兄弟全員がトッププレーヤーとして知られるゴルフ一家に育った大嶋。6月のトヨタジュニアに長兄の炎、三兄の宝に続いて日本代表として出場し個人戦2位タイの成績でチーム戦2位に貢献しました。
157センチと小柄ながら、パワフルなスウィングが魅力の大嶋。これからのナショナルチームのエース候補の一人として、本選手権での活躍が期待される選手です。
杉浦 悠太(日本大学3年)

日本チームで唯一の大学生となる杉浦悠太。
2019年にナショナルチームメンバーとなってから、世界アマチュアゴルフランキング1位となった金谷拓実や中島啓太の背中を追い、トレーニングを積んできました。日本男子ツアーでも上位成績を残すなどトップアマチュアとして活躍を見せている杉浦。本年日本オープンゴルフ選手権では、優勝争いの一角に食い込み、全体3位タイの好成績を残しました。
本選手権では、プレーはもちろんのことエースとして高校生2人を牽引する役割も担います。
松井 琳空海(香川西高校1年)

本年のジュニアオープンゴルフ選手権に続いて日本代表に選考された松井琳空海。
2021年には中学生ながら四国ジュニアゴルフ選手権と四国アマチュアゴルフ選手権を制し、同年の日本ジュニアゴルフ選手権男子12~14歳の部で2位の成績を残しました。松井は本年JGAナショナルチームメンバー入りを果たすと、トヨタジュニアで大嶋とともに個人戦2位タイ入賞。初のJGA派遣競技となったジュニアオープンでは初経験のリンクスコースで4位と健闘し高い対応力を示しました。
今年の日本ジュニアゴルフ選手権男子15~17歳の部でも初出場初優勝を飾るなど、同年代を牽引する選手として活躍する松井。大嶋とともに今後のナショナルチームのエース候補として、さらなる飛躍が期待されます。

開催コース紹介
Manila Southwoods Golf & Country Clubは、ジャック・ニクラウスの設計で1992年に開場。マスターズコースとレジェンドコースの各18ホールで構成されており、最高に環境に配慮し国内で最も挑戦的なコースと評されています。本選手権の舞台となるマスターズコースは距離が長く狭いフェアウェイと多くのバンカーが配された高い戦略性を誇るコースです。

Manila Southwoods Golf & Country Club:http://www.manilasouthwoods.com/

ノムラカップとは
アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)が主催する、現在アジア太平洋地区で開催される公式戦の中では最も規模の大きいアマチュアチーム選手権で、同地区のゴルフ界の発展に寄与することを目的に隔年で開催されています。

本選手権の発足は、1962年に川奈GCで行われた世界アマチュアゴルフチーム選手権の際にフィリピンのマニュエル ディンド ゴンザレス氏から日本・台湾・フィリピンの3カ国の間で対抗戦を行うのはどうかとの提案があったのにさかのぼります。
その提案を受けた当時のJGA副会長野村駿吉氏と台湾の代表者と協議した結果、1963年にフィリピンで日本、台湾、フィリピンが参加して第1回アジアアマチュアゴルフチーム選手権を開催した。「ノムラカップ」の由来は、野村駿吉氏が果たしたアジアアマチュアゴルフ界への貢献の偉業を称えてつけられたもので、第1回大会は日本が優勝を果たしています。1977年には、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアがAPGCに加盟したことを受け、競技名称を現在の「アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権」に変更し、現在に至っています。なお、日本は過去9度の優勝を数えています。

アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)
   1963年に発足。現在、42の国と地域が加盟。(https://www.apgc.online/
オーストラリア サモア バーレーン バングラディシュ ブータン
カンボジア 中国 チャイニーズタイペイ クック諸島 アラブ首長国連邦
フィジー グアム 香港 インド インドネシア
イラン イラク 日本 ヨルダン 韓国
キリギスタン ラオス レバノン マカオ マレーシア
モンゴル ミャンマー ネパール ニュージーランド オマーン
パキスタン パプアニューギニア フィリピン カタール サモア
サウジアラビア シンガポール ソロモン諸島 スリランカ タイ
バヌアツ ベトナム      

野村駿吉氏の紹介
明治22(1889)年生まれ。父親の竜太郎氏は、日本の鉄道事業における先駆者といわれた人物。

駿吉氏は、明治44(1911)年に神戸商高を卒業後、大正2(1913)年に三井物産ニューヨーク支店に勤務。このころ、ゴルフを覚え、大正11(1922)年からはテキサス州で石油採掘に従事し、翌年に日本に帰国。帰国後は東京ゴルフ倶楽部の会員となり研鑚を積み、昭和2(1927)年に日本アマチュアゴルフ選手権競技に優勝した。昭和10(1935)年には、関東ゴルフ連盟の設立を果たし、関東アマを創設するなど、戦前の日本のゴルフ発展に寄与した。
戦後は、昭和23(1948)年に東京ゴルフ倶楽部理事長に就任すると、翌年には関東ゴルフ連盟を再建、JGAの復活にも尽力した。
昭和32(1957)年には霞ヶ関カンツリー倶楽部でのカナダカップ開催にも尽力し、日本のゴルフブームの礎を築いた。

昭和38(1963)年、73歳で死去。

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