2000 OCTOBER vol.63
 
 1957年秋、霞ケ関CCで行われた『カナダ・カップ』(現在のワールド・カップ)で中村寅吉、小野光一の日本チームが、優勝。これがきっかけになって日本国内にゴルフ・ブームが巻き起った。その流れに触発されたかのように、ひとりの少年ゴルファーの動向が関係者の目をひき始めた。
翌58年、当時高校2年生だった少年が、特別に認められて大学生のトーナメント『関西学生選手権』に出場し、あっさりとメダリストになってしまった。中部銀次郎。その名は全国的に知れ渡った。

  その中部銀次郎が1960年の日本アマ選手権(愛知CC)に初出場。ここでも2位に1打差ながらメダリストに輝く。10代選手が日本アマのメダリストになったのは史上初めてのことである。
翌年の日本アマでも中部はメダリストになり、3度目の出場となった1962年の選手権(広野GC)で3年連続のメダリストと優勝を飾り、以後1978年(三好CC)に最後の優勝を果たすまでに、前人未踏の6回優勝という金字塔を打ちたてた。

 1942年生まれの中部銀次郎は今年58歳。会社経営にあたりながら、いまもゴルフへの情熱を燃やしつづけている。そんな昨今の中部銀次郎氏をオフィスに訪ねて、日本のアマチュア・ゴルフの現在と将来について聞いた。


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