2001 JUNE vol.66
 「現在も、毎日作業場には足を運んでいます。5年程前までに工場内の全てが機械化され、今では、材料を集めることと、出来た製品を検品することを除いては全て機械が自動的にやってくれる。60年のキャリアが生かせないんだよ」
と、島田さんは現在の様子を語ってくれた。

 80才になった現在でも月に4回はゴルフへ出かけるという。ハンディは10という腕前だ。
「シャフト作りをスタートさせておよそ60年ですが、その間に何人もの同業者たちが消えていきました。その中で、私は機械の導入や製作法など、時代に合わせて順応していった。その時代の変化に従って、作り手も対応しなければならないんです。でもね、こんなに機械化が進んだ現在でも、私しかできない工程があるんですよ」と島田さん。
 その工程とは、穴が幾つも開いた円が10cm間隔で層(約20層)になった筒状のケースにシャフトを通すことである(写真参照)。
「不思議なことに、他の人ではなかなか上手く通らない。だからこれだけは私が担当しているんですよ」と誇らしげに話した。

 そしてこう続けた。「ゴルフの道具作りの仕事は、ちょっと気障に言えばゴルファーに夢を売る商売です。スコアが悪くても、遠くに飛んでくれれば気持ちがいいもの。人間の力であれだけの飛距離が出せるのはゴルフ、いやゴルフ道具(?)の成せる技ですかね」と。

 第1号の完成から、約60年経っても仕事に向かう姿勢は変わらない。それは日本のゴルフ発展に大きく貢献した自信からであろう。

 姫路の松岡さんが完成させたヘッド。それに、島田父子が生み出したスチールシャフト。全く離れた土地で、別々の人間によって作り出されたパーツがようやく一つになり、誕生した純国産のアイアンクラブ。それを支えたのは男たちのゴルフへの、またゴルフ道具への探求心だったに違いない。

 そして、今なお島田さんの探求心は衰えることはない。「スチール、そしてカーボン。私の個人的な考えですが、双方ともに陰りが見えてくるはず。これからのシャフト素材として注目なのは、超ジュラルミンですね。軽量で、弾性があるし、トルクが適度。これほどシャフトに適した素材はないんです」。

 こうした島田さんのような職人たちのアイディアが、これからの100年も、ゴルフ道具の発展を支えていくのであろう。


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