2003 DECEMBER vol.74
“清田さん”から学んだこと

 日本学生ゴルフ選手権は2003年で57回目の開催を迎えた。日本アマチュアゴルフ選手権競技の歴史はさらに古く88回にも及ぶ。もちろん、長い歴史の中でこの2つの大会を制したゴルファーは数多く存在する。
 しかし、1年間で一挙にこの2つの栄冠を手に入れたゴルファーはそう多くない。その離れ業をやってのけたのは1939年の原田盛治にはじまり、1964年の中部銀次郎、1975年、1977年の倉本昌弘、1988年の川岸良兼、2001年の宮里優作らわずか5人。そして2003年、偉大な先人達が残したこの記録に日本体育大学4年の九州男児が肩を並べた。甲斐慎太郎、23歳。これまで全国規模の競技で個人優勝したことがなかった甲斐にとって、今回の快挙は「昔の自分からは想像もできなかったこと」と振り返る。
 1981年、宮崎県生まれ。小学生の頃からソフトボールやバレーボールで汗を流すスポーツ少年だった。転機が訪れたのは中学1年生の時。
 「子供の頃は『大人になったら父が営む飲食店を継ぐのかな』って漠然と思っていました。中学1年生の時に初めて父に練習場に連れていってもらい、ゴルフをやるようになりました。中学2年生の時に本格的な競技(九州ジュニアゴルフ選手権)に出場しましたが、結果は100以上の大叩き。一人で泣きながら家まで帰ったのを覚えています(笑)」。
 生まれて初めて参加した本格的な競技ゴルフ。統一されたユニフォームと最新のクラブで身を固めた周りのライバルの迫力や、競技ゴルフ独特の緊張感に飲み込まれた。感情をむき出しにするタイプではないが、昔から負けん気は人一倍強い。泣きながら家に帰った翌日からは自然と練習量も増えた。自宅から9キロほど離れた練習場にも自転車で通い足腰を鍛えた。だから、1年後の九州ジュニア選手権で2位になったのは偶然ではない。中学卒業前にしっかりと実績を残し、卒業後の進学先は名門ゴルフ部を擁する沖学園高等学校の門を叩いた。
 「決め手となったのは、当時から尊敬していた清田太一郎さんが沖学園にいたからです。何よりも僕自身もっと強くなりたかったので、どうせゴルフを続けるのなら強い学校で学びたかった」。
 とはいえ中学2年生から本格的にゴルフを始めた甲斐の存在はまだまだ知られておらず、実力は未知数。ゴルフ部の監督から「もしかしたら3年間レギュラーになれないかもしれませんがそれでもよろしいですか?」と告げられたのは甲斐の父親だった。だが、父親思いの孝行息子は監督の予想を見事に裏切り、入学直前から3年間レギュラーの座を譲らなかった。高校3年時には九州アマチュアゴルフ選手権で優勝をおさめ、念願だった個人でのアマ初タイトルを獲得。卒業後はやはり尊敬する清田の背中を追いかけ、日本体育大学へと進んだ。
 「清田さんからは本当にたくさんのことを学びました。やはり強い選手は人が見ていないところでも人一倍努力している。みんなで一緒に頑張れば乗り切れることも、一人でやるとなるとなかなか難しいもの。でも強い選手は一人でも自分に課したノルマをこなす強い意志があります。その姿に少しでも近づきたいと思っています」。


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