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青木 功氏 |
──青木さんが引っ張ってきたシニアの世代。今回の日本シニアオープンは、新たな顔ぶれを迎えたことによって、厚みができたと思います。今回、青木さんは今大会に対して、どのようなお気持ちで臨まれますか?
青木功(以下青木) 開催コースの茨城ゴルフ倶楽部は1993年のダンロップオープン以来で、ちょうど50歳の時だから12年ぶりの茨城でのプレーだね。まあ、今回はコースというよりも、自分より12歳下の選手たちが日本シニアオープンに出場することで、シニアツアーの印象を変えたいね。
──今回は頼もしいルーキーたちが参加しますが、その印象は?
青木 年齢的なことを言えば、彼らは僕よりも12歳下だけど、それよりもむしろこのメンバーで日本シニアオープンを戦えることが嬉しいし、楽しみだね。仲間が増えたこと、再び茨城に戻ってこれたことと同時に、もう一度“青木功”という存在を示したいね。
──青木さんは以前から『チャンピオンズツアーでの戦いは夢だった……』とおっしゃってい ました。その夢を実現し、日本人選手として新たな道のりを築かれてきました。では、実際に4選手たちがどのような思いでシニア入りを決意したのか、尾崎健夫選手からお願いします。
尾崎健夫(以下尾崎) 僕は30年間、ずっとプロゴルファーとしてゴルフをしてきて、『AON』こそ日本のゴルフの象徴であると感じています。僕はもちろん、この3人を尊敬し、胸を借りて育った選手たちが大勢いるのです。しかし、青木さんと中嶋常幸の間の世代が大きなポイントだったけれど、残念ながら上手くいかず、シニアツアーが低迷と言われるような形になってしまったんだと思う。今回、中嶋が日本シニアオープンに出場することを日本シニアツアーを盛り上げるポイントにしたいと……。但し、シニアツアーは年間6試合という厳しい現実もある。でもマイナスのことばかり考えても始まらない。中嶋の出場がシニアツアーの新たなスタートとなって、より活性化するように自分もその一翼を担いたいと思っています。
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尾崎 健夫氏 |
──中嶋さんと尾崎さんはプロ入り同期生ですね。尾崎さんの心強い言葉に対して、中嶋さんはいかがお考えですか?
中嶋常幸(以下中嶋) 今、レギュラーツアーでセカンドショットを打ち終わって、ティインググラウンドを振り返って見た時、次にティショットを打つ選手が誰なのか分からない。名前と顔が一致する選手が半分ぐらいかな。厳しい世界で、選手の移り変わりや世代交代があるのは仕方ないけれど……。近年の道具の目覚ましい進化によって、今のレギュラーツアーは戦闘機で言えばF-15、F-17といった“ジェット戦闘機の戦い”。そんな戦いの中で、自分は経験や腕前が試されるような、昔ながらの“零戦での戦い”がやりたいと感じるようになっています。実際、こうして顔を合わせると、やっぱりレギュラーツアーにはない楽しさを感じます。
──飯合さんの場合は、今季チャンピオンズツアーに参戦する形でのシニア入りとなりましたね。
飯合肇(以下飯合) 日本のレギュラーツアーよりも、チャンピオンズツアーのほうが華やかに見えていました。ああいう雰囲気の中で戦ってみたい! というのが昨年までの目標でしたね。結果的にはあまりよい成績を残せませんでしたが、その中でメジャーの全米シニアオープンに出場することができました。全米シニアオープンも、今年27回目と歴史はまだまだ浅いんですよね。それを考えたら、日本シニアオープンやシニアツアーもこれからです。僕らのあとも、倉本昌弘や室田淳らが来年50歳を迎えます。『AON』を追いかけてきた選手たちが続々とシニア入りする中で、日本のシニアツアーもチャンピオンズツアーに少しでも追いつければいいなと思います。
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中嶋 常幸氏 |
──では、最後に友利さんはいかがですか?
友利勝良(以下友利) まさか自分が今年の日本シニアオープンに出場するなんて思っていませんでした。というのも、それまでの先輩たちを見てきて、年齢を重ねてレギュラーツアーでは成績を残せなくなったのち、ある程度の準備期間を置いてからシニアツアーに参加するものだと思っていました。だから、レギュラーツアーを戦いながら、日本シニアオープンに出場できるなんて……。
──シニアとレギュラーの両ツアーで現役。昔では考えられないことですね。時代の変化を感じます。
中嶋 僕も、45歳ぐらいで故障や不調でレギュラー競技の予選が通過できなくなって、日本シニアオープンに出場するようになるのかなと思っていましたよ。でも今は道具の進化もあって、競技人生も伸びているんだと思う。それと自分の中で奮起するきっかけとなったのが、2000年のフジサンケイクラシックでジェット(尾崎)が優勝したことだった。あれだけパッティングに苦しんでいた人が勝ったというのは自分にとっても大きな出来事だった。実際、自分も2002年に2勝できたわけだし……。だから、少しシニア競技を甘くみていた。でも、自分が50歳になって、ひと足早く日本のシニアツアーにはジェットが、チャンピオンズツアーにはコング(飯合)が参戦している姿を見て、その考えが覆された。と同時にシニアツアーに対して興味を持ち始めるようになりましたね。
プンに出場するようになるのかなと思っていましたよ。でも今は道具の進化もあって、競技人生も伸びているんだと思う。それと自分の中で奮起するきっかけとなったのが、2000年のフジサンケイクラシックでジェット(尾崎)が優勝したことだった。あれだけパッティングに苦しんでいた人が勝ったというのは自分にとっても大きな出来事だった。実際、自分も2002年に2勝できたわけだし……。だから、少しシニア競技を甘くみていた。でも、自分が50歳になって、ひと足早く日本のシニアツアーにはジェットが、チャンピオンズツアーにはコング(飯合)が参戦している姿を見て、その考えが覆された。と同時にシニアツアーに対して興味を持ち始めるようになりましたね。 |