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原田 盛治
Moriharu Harada

(大5.7−昭42)
日本アマ選手権優勝者


幼少期からゴルフに親しみ、1939(昭和14)年、東大在学中に日本アマを制して天才ゴルファーといわれた。この時代、学生ゴルファーが日本アマに勝つことは至難といわれていた。


広岡 久右衛門
Kyuuemon Hirooka

(明23.1.1−昭53.11.26)
関西ゴルフ界の偉大な指導者


加島屋10代目として広範な事業を展開する一方で関西ゴルフ界をリードし、茨木CCを創立させ、JGA理事も務めた。


フランシス・ブラウン
Francis Brown

(明25.9.16−昭51.6.7)
戦前にプロの初海外遠征を橋渡し


1929(昭和4)年の日本アマに招かれて優勝したハワイの実業家。その返礼に宮本、安田の両プロをハワイ・オープンに初めて出場させた。


細川 護貞
Morisada Hosokawa

(明45.7.17−平17.10.3)
アマチュアの名手、前JGA会長


前JGA会長。戦前、戦後を通じてアマ・ゴルフの中心プレーヤー。会長時代には利用税撤廃に力を尽した。近衛文麿首相秘書官、神社本庁総理、日本いけばな芸術協会、日本工芸会の各会長などを歴任。


水谷 叔彦
Yoshihiko Mizutani

(慶応元−昭22)
日本人ゴルファー第1号、元海軍機関少将


海軍機関学校を卒業後、英国の海軍大学に留学し、1896(明治29)年、友人の手引きでゴルフをやった。自らの日誌に『ゴルフィングを為す』と書き残している。


宮本 留吉
Tomekichi Miyamoto

(明35.9.25−昭60.12.13)
日本オープン6回優勝者


日本オープン6回優勝、戦前の日本のトップ・プロ。全米、全英オープンに挑んだ最初の日本人。晩年はクラブ製作も。1932(昭和7)年にパインハーストでのボビー・ジョーンズとのマッチで勝ち、5ドル紙幣にジョーンズにサインさせた。


三好 徳行
Noriyuki Miyoshi

(明44.8.5−昭60.9.25)
日本アマ3連勝


学生時代、健康維持のためにゴルフを勧められてクラブを振り出した。正確無比なゴルフは『機械ゴルフ』と異名を取り、1953(昭和28)年から日本アマ3連勝の偉業を達成した。長年の経験を生かしてコース設計も手がけた。


森村 市左衛門
Ichizaemon Morimura

(明6.12.6−昭37.7.5)
元JGA会長


東京ゴルフ倶楽部、程ヶ谷カントリー倶楽部の創立者で、国際交流には熱心だった。1934(昭和9)年〜1939(昭和14)年にかけてJGA理事長、会長を歴任した。


安川 寛
Hiroshi Yasukawa

(明36.1.12−平11.2.18)
元JGA副会長


門司ゴルフ倶楽部理事長、九州ゴルフ連盟理事長を歴任し、ゴルフのみならず、各種スポーツの振興に力を注いだ。JGA副会長時代は石井光次郎会長をバックアップしてゴルフ界の発展に貢献している。小倉中学、旧制七高は野球の選手、生涯、スポーツを愛したスポーツマン。元安川電機会長。


安田 幸吉
Koukichi Yasuda

(明38.3.1−)
日本プロゴルフ協会初代理事長


東京ゴルフ倶楽部で赤星六郎の指導を受けながら本格派のプロとして育てられた。草創期の日本のゴルフ界を背景に米本土のサーキットに参加し、洗練されたアメリカの技術を吸収して帰国し、日本のゴルフ技術向上の尖兵になっている。近年はコース設計に情熱を傾けた。プロ選手として初めて勲三等瑞宝章を受けた。


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