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高畑 誠一
Seiichi Takahata

(明20.3−昭53.9.19)
元JGA理事、関西ゴルフユニオン創立者、元日商会長


英国駐在中、英国プロの指導を受けて上達。1921(大正10)年昭和天皇が摂政宮殿下時代に英国を訪問されたときに、プロ4人の模範競技を設定。国内では関西ゴルフユニオン設立を提唱すると共に、JGA理事として尽力。日本アマ、東西対抗で活躍した。ゴルフ規則にも造詣が深く、「ゴルフルール百科全書」という解説書を発行し、ルールの普及に努めた。


陳 清水
Seisui Chin

(明43.1.25−平6.1.8)
戦前、戦後を通してプロの第一線で活躍した名手


昭和初期に台湾からゴルフ修業のため内地にやって来た。日本オープン1回、日本プロ3回優勝。1936(昭和11)年日本のプロとして、戸田藤一郎と共に初めてマスターズ出場。


戸田 藤一郎
Touichiro Toda

(大3.11.22−昭59.7.11)
日本オープン、日本プロ優勝者


戦前、戦後を通じ『トイチ』のニックネームで内外に知られた天才プロ。初優勝は18歳、最後は57歳と最も息の長かった名手。1939(昭和14)年日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロのグランドスラム達成。


中村 寅吉
Torakichi Nakamura

(大4.9.17−)
日本を代表するプロゴルファー


程ヶ谷カントリー倶楽部出身のプロ。戦前からトーナメントで活躍し、1957(昭和32)年、日本で行われたカナダカップで小野光一と組んで団体優勝をとげて、その名は世界的に知れ渡った。パットの名手で、パットの神様というニックネームをつけられていた。


鍋島 直泰
Naoyasu Nabeshima

(明40.10.3−昭56.5.1)
日本アマ3連勝、1ラウンドで2度ホールインワンの記録保持者


学習院在学中からゴルフに親しみ、アマチュアゴルフ界の大御所だった。1ラウンドのプレーで2度のホールインワンを出して話題になった。世界アマ・チーム選手権日本代表、世界シニアの競技にも出場した華麗なスウィングの持ち主だった。


成宮 喜兵衛
Kihei Narumiya

(明36−昭46.3.18)
日本アマ優勝者


関西の生んだ名物ゴルファーで、赤星四郎の指導を受けて上達、日本アマでは鍋島直泰の好敵手だった。ゴルフに生涯をかけたといっていいほどのゴルフ愛好家だった。1932(昭和7)年、日本アマの優勝杯を箱根越えさせたとして話題になった。


南郷 三郎
Saburo Nango

(明11.10.30−昭50.10.2)
JGA初代のチェアマン

日本のゴルフ草創期のゴルファーで、1920(大正9)年、関西の舞子カントリー倶楽部の創立者。1924(大正13)年、発足したJGAの初代チェアマンに就任して発展に貢献した。


西村 貫一
Kanichi Nishimura

(明25−昭35.2)
ゴルフ文献収集家


世界的に知られたゴルフ書の蒐集家であり1930(昭和5)年には自ら『日本のゴルフ史』という創成期を綴った書物を出版した。


西村 まさ
Masa Nishimura

(明30−平3.5.11)
関西夫人ゴルファーの草分け


西村貫一氏夫人で、創成期の日本の女性ゴルファーを代表する名手。女性のホール・イン・ワンの第1号でもあり、1925(大正14)年神戸ゴルフ倶楽部の婦人選手権に日本人初優勝。


野村 駿吉
Shunkichi Nomura

(明22.9.4−昭38.5.13)
日本ゴルフ界の地位向上に尽力


1927(昭和2)年に日本アマ優勝、戦後は同期の石井光次郎とともに、国際交流や日本のゴルフの発展に絶大な貢献。元JGA副会長。特に「世界アマ」「アジアアマ」の創設に力を尽し、アジアアマの優勝杯は「シュン・ノムラ・カップ」の名でその功績を唱われている。


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