長いマッチだった。日本一のタイトルを争う1対1の熱戦が27°以上の気温、南風も2.7㍍程度で湿度が高く、蒸し暑い空気の中でいつ果てるともなく続くのだから。
“中年の星”で初の決勝戦を迎えた田村尚之(賀茂CC)は、準決勝の永野竜太郎(東北福祉大)戦でも、延長5ホールを戦っており、ギャラリーから「田村選手はゴルフがよほど好きらしい。1ホールでも多くプレーしたがるから」と囁かれたほど。
この日の決勝戦でも、36ホールを終わって決着がつかず、またも延長ホールに突入。最終的に勝負がついたのは5ホール目、田村が永野を下した因縁のホールだった。ただし、勝利の女神が微笑んだのは試合前には“東北福祉大のダー
ク・ホース”といわれた小林伸太郎(泉国際GC)の方だった。トータル41ホールでの決着は1929年(昭和4年)武蔵野GC六実コースでの大会以来の延長最多ホール数。36ホールの後半戦18ホールが午後12時15分にスタートして、終わった時間は5時40分、じつに5時間25分に及んだのだから。
しかも、1954年(昭和29年)開場の愛知CC東山コースは都会の真中、牧野ヶ池緑地にあり、徳川時代はお狩り場だった丘陵地。尾根の間をフェアウェイが上下してうねるので、500人近いギャラリーはロープ外を歩くのも大変だった。
優勝した小林伸太郎は試合後、「この試合は予選から幸運に恵まれました。その最大のラッキーが最後の5番ホールでした」と実力以上にラッキーに恵まれたことを強調した。
それは445ヤード・パー4のゆるく左に曲がるホールで、ラフに挟まれたフェアウェイが右傾斜するので、左目にティ・ショットする戦略を求められる。距離の短いホールでは滅多にドライバーを使わない“レイアップ(刻み)作戦”の小林がドライバー・ショットを右に押し出し、OBラインの潜む林の中に消えたように見えた。しかし、競技役員のセーフの合図で、「木に2回当たり、フェアウェイ側のカート道路にも跳ねてラフに出てきたと聞き、完全なミス・ショットが助かった!と思いました」。まず、これが一つ目のラッキー。
残り200ヤードの距離を5番アイアンで打つと、これが砲台グリーン手前25ヤードのラフ。
相手の田村選手は左ラフからの第2打をグリーン左奥に外している。そして、小林の第3打は打った瞬間、誰もが“強すぎる?”と感じたはず。しかし、ボールは1バウンドした後、ピンの立つカップに姿を消した。チップ・イン・バーディ!
「歩測して25ヤード、上り傾斜なので60°サンドウェッジを強めに打ちました。入った瞬間は興奮して、キャディさん(大学先輩の花山大輔)とハイタッチしていました。でも、粘り強い田村さんのことだから、もしや入れ返すかも?と思って、42ホール目に進んだら僕に勝ち目はないと思っていました。でも、ラッキーの連続でした」と語った。
群馬県出身の20歳、小林は大学3年生だが、2004年の日本ジュニアに優勝している。その後、東北福祉大に入ると、「先輩のプレーを見るとレベルが高く、僕の技術・マインドでは駄目だと痛感、体力をつけるランニングや練習、レッスン書やビデオで勉強しました。この日本アマ・タイトルを取ったことで、少しは僕も成長できたかなと思います」と謙虚な姿勢を見せた。
なにより、「石川遼君のおかげでこの大会はTV中継や大観衆も生まれ、ゴルフ人気が高まったのですから彼に感謝したいし、僕もゴルフに恩返しがしたいです」とスマートなコメントを残した。
第5日目の選手インタビュー(動画)は、<こちらから>
第5日目のフォトギャラリーは、<こちらから>
|