圧巻は5upの大量リードで迎えた29ホール目、11番(415ヤード・パー4)のセカンドショットだった。ティショットを押し出し、右ラフに打ち込んだBi-O Kim(韓国)がそこからの残り距離105ヤードをピッチングウェッジで強振すると、ボールはピンに重なった。このグリーンは手前から奥にかけて3段になるアンジュレーションがある難グリーンだが、この日のホールロケーションは手前エッジから25ヤードのグリーン中央。カップを過ぎると強い受け傾斜となる。この傾斜がキムには幸いした。ピンを通り越したボールが傾斜に乗って戻り始め、あれよあれよという間にカップの中に吸い込まれたのだ。イーグル達成である!「風は強い
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フォローウィンドでしたが、アグレッシブに110ヤードを打ちました。それが良かったのかも。でも残念ながら僕はクラブをキャディの父親に渡し、歩き始めていたのでカップインの場面は見ていません。この5日間、常にホール脇を歩いて応援してくれた母親がキャー!と叫んだので、入ったことを知りました。その後で、父親とハイタッチして喜んだことを覚えています」とは試合後のKimの感想。
この奇蹟的イーグルで6upとしたので、続く12番(210ヤード・パー3)をKimが獲れば、勝負が決する。
ここでも、Kimの風読みの計算はコンピュータなみだ。「午前中のラウンドではアゲインストの風だったので、3番アイアンでティショット。すると、ピンフラッグに直接当たりました。もしも籏竿を直撃していなければグリーンをオーバーしていたでしょう。だから、午後は4番アイアンに換えたので、ピン手前に寄ってくれたのです」 その距離、なんと90センチである。
対戦相手の小平智(鷹GC)が右のカラーからパターで寄せた後、Kimのいつも通りのリズムで愛用のピンタイプのパターをストロークすると、ボールが真っ直ぐカップに沈んだ。この結果、7and6の大差で勝負が決着、またも韓国からのニュー・ヒーロー誕生の瞬間である。この大量差の決着はマッチプレー方式になった4回目、2003年大会(秋田椿台)で甲斐慎太郎が勝った時と同じスコア。キャディの父親と大きなジェスチャーで抱き合い、遠くで見守った母親ともハグ(抱擁)すると、韓国ナショナルチームの最強選手は目頭を押さえて、しばし涙にくれた。
「2005年の全英オープン(セントアンドリュースGC)で父親のアール・ウッズの死後初のメジャーを取って泣いたタイガー・ウッズ。彼の気持ちが少し分かったような気がします。僕には支えとなってくれる父母が健在ですが、ビッグゲームに勝った時の気持ちは特別なモノで、そのせいで涙が溢れて来たのだと思います」と冷静にその時の感情を表現した。
試合後になって思えば、昨年の本大会(愛知CC東山)で初出場。メダリストを獲得したが、マッチの1回戦で敗退。その後、日本オープン(霞ヶ関CC西)では27位だったKimだけに、「日本一のアマチュアタイトルに向けて、マッチプレーのゲームマネージメントをいろいろ勉強して来ました」とこのタイトルに賭けてきた心模様を語った。
ましてや、韓国のアマチュア代表選手として国際舞台も経験している。今年の第6回ボラナック・トロフィー(アジア太平洋選抜VSヨーロッパ選抜マッチ)にも参加、第8回ネイバーズ・トロフィー韓国・日本・台湾チーム選手権で個人6位の成績を挙げ、男女とも韓国チームの優勝に貢献しているのだ。それらの成績でランキングされる“ワールド・アマチュア・ゴルフ・ランキング”(R&Aによる発表)では8位、アジア地域でトップにランクされる選手なのだ。昨年の日本アマではひょろりとした少年のような体躯だったが、1年後にはスレンダーなスタイルは同じながら、182センチ、75キロの公式発表数字より一回り大きく、筋肉質な大人びた印象だった。
4年前の李東桓(ドンファン)から金庚泰の2連勝と3年連続で韓国勢チャンピオンが続いた日本アマにまた“韓流ブーム”が訪れるのだろうか?試合後の表彰スピーチで、「まず5日の間、僕を見守ってくれた神様に感謝したい」と始め、父母、韓国ゴルフ協会、日本ゴルフ協会、会場のクラークCCなど、大会を支えたすべての関係者に謝辞を述べる優等生スピーチに、Kimの品行方正ぶりを見る思いだった人も多かったことだろう。
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