「今日のラウンドでピンチが2回あった。ひとつはスタート直後の2番ホール・194ヤード・パー3。ピンの位置が左寄りだと前の松の木が邪魔になることは、練習ラウンドの時から判っていた。案の定、5番アイアンのティーショットが枝をかすめてグリーンをショート。ピンまで37ヤードを4メートルに寄せてパー・セーブしたのが大きかった。なにしろ1番ホールでボギー、この2番ホールで、もしもボギーだったら、後が大変なことになるから。もう一つは16番ホール・パー5のOKパー。ショットを曲げて、ラフからラフと、いろいろあったけれど第4打、残り114ヤードをピッチング・ウェッジで打つと、“これは完璧! ひょっとして入るのか
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な?!”と思ったくらいのファイン・ショットで、パーを獲ったのだから。このピンチ二つを切り抜けたのが大きかった」
今季、日本プロ選手権を5月に勝ち、プロ通算24勝として以来、“永久シード権”のかかった試合で勝てない期間が約1ヶ月。さぞかし辛い日々だったのだろう。12試合目になる日本オープンというビッグ・ゲームで勝った片山は、スラスラと弁舌爽やかに話し出したものだ。
「17番ホールのパー3で、これも寄せてパーを獲った後、通路を歩きながら泣きそうになった自分がいた。でも、ここで泣いたら、18番ホールをプレー出来なくなるから、ぐっとガマン。しかもティーショットでフェアウェイ・キープ。第2打を5番か6番で迷っていた時、2005年の廣野GCで初優勝した時の72ホール目、18番ホールを思い出した。小さい砲台グリーン、ピン位置が左奥というシチュエーションが全く同じ風景に見えた。だから、迷わずあの時と同じく6番アイアンを手にしたのです。結果はパーでフィニッシュ出来た。2位と4打差はあるものの14番以降のホールでは“ボギーが1つくらいは出るだろう”と覚悟していたのにノー・ボギーでしのぎ切った。こんな風に24勝目が日本プロ、25勝目が日本オープンというビッグ・タイトルを制覇したなんて、感動です!」
ビッグ・タイトルに向けて万全の準備をして、“勝ちに行く自分を演出する”かのようなスタイルを貫くのが片山方式とすれば、今回の自己演出は完璧なものだった。
狭いフェアウェイ、硬くて速いグリーンが砲台になる。それをガードするアリソン式バンカーは深く、目玉になりやすい。コース・レート“74.6”という難コースだが、距離は7,000ヤードないので、片山は4日間通してドライバーを封印した。だから、セカンド・ショットで持つクラブは圧倒的にミドル・アイアンが多くなる。だから、「まるで全米オープンを戦っている気分だった」と振り返るのだ。
もう一つの演出がある。「先週から、昔、書きためた“ゴルフ・ノート”を持参して歩き、読み返すと、“35歳で25勝する!”と書いてあった。プロ入りした直後の10年前に書いたもので、まだ試合に出る資格もない頃のもの。こんなこと書いた自分がいたんだ!と自分で驚いたのだが、それがホンモノになった」と感慨無量なのだ。石川遼選手など若い選手の台頭に触れて、昔の己自身を想起してみるのも、演出の一種なのかも。中年プロの年齢域に達して、ツアー活動がマンネリ化することへの防止策だったのだろう。
試合後の表彰式で、片山は念願の永久シード権を獲得した。正式には“名誉終身シード25勝クレデンシャル・バッジ”を日本ツアー機構の小泉直会長から授与されたのだ。
「中嶋常幸先輩のバッジを見せて貰ったり、手に触らせて貰っていたので、うれしい! 中嶋プロには“今週、ここで決めなさい!”と激励された。史上7人目の僕は身体も普通だし、なにか特別に努力しなければ達成できるものではないと思っていたから、格別です」
と、バッジを記者団に見せてくれた。ツアー・プロの身分証明書のような役割もあり、ツアー・プロは各自持参して生活しているものだが、永久シード選手のバッジは金色に輝く。しかも、35歳8ヶ月19日という史上3番目に若い受賞なのだった。
今後の目標を記者団に訊かれた片山は「あと20勝して、45勝したい。片山“シンゴ”をもじった数字ですが、これは大変な目標だなぁ!」と大笑いした。
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