プロ入りは1980年、羽川も5アンダーパー、同期の湯原にわずか1打遅れの4位と負けていない。
10番ホールからのスタートの12番ホール、アウトコースに入った1番ホールとパー5を確実にバーディー。5番ホールでは8メートル、7番ホール・5メートルと長尺パターが冴え6アンダーパー。しかし、この日の最終ホールの9番ホール、セカンドショットをグリーン手前の池に入れ、ボギーと最後でつまずいた。「9番ホールは昨日も水切りショットでボギーと大嫌い」と屈託がなかった。
前週は福岡・古賀GCの日本オープンでNHKの解説を務め難コースが脳裏に焼き付き“後遺症”があるという。「ラフに入れたくない、グリーンは堅
くて止まらないというイメージがあり実際にショットに影響している」と言った。
「シニアオープンはメジャーだし、タイトルを取りたい」ときっぱり。1979年の日本オープンでローアマチュア、プロ入りした80年の日本オープンは優勝としっかり実績を作り上げ、当然、シニアの日本一にもこだわりがあった。
「レギュラーツアーを8年間休み、今季シニアデビューし7戦目、長いブランクがあったが、よくここまできた。優勝にこだわってあと2日、がんばりたい」80年の日本オープンはプロ初出場、初優勝。今回も勝てば初出場で初優勝の偉業達成だ。
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