「まさか…。信じられません。まだ、フワフワしています」
石川遼、今野康晴とのプレーオフを制してツアー初優勝を果たした小田は、表彰式後も「アンビリーバブル」を連発した。
180センチの大型プレーヤーでジュニア時代から“鹿児島の怪童”として知られていた。日本ジュニア選手権競技で6位に食い込んだこともあった。専修大卒業後にプロ転向、02年からツアーに参戦、ドライビングディスタンスでNO.1になったこともある飛ばし屋だ。
ゴルフスタイルは、自分で「遼クン流」という。「飛ぶけど曲がりも大きいので、コントロール優先を考えていたら、じり貧になってしまった…。どうせ刻んでも曲がるのだから、本
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来の持ち味であるドライバーでガンガン振って、グリーンに近付けてしまった方がいい。この試合も、ずっとドライバーで攻め続けました」
その石川と、今野を交えてのプレーオフ。石川とは初めての“顔合わせ”だった。プレーオフに使われる18番ティーインググラウンドへカートで向かいながら、キャディーを務める実弟の新(しん=24歳)に声を掛けた。
「どういうプレーでいこうか」
返ってきた答えは簡明だった。
「遼クンより振れ!」
言葉どおり、フルスウィングした。
「彼の方が、飛んでいましたね。僕は、どうしても彼のように誰が見ても気持ちよさそうに振っているなと思えるスウィングじゃありませんから」
プレーオフ1ホール目。3人ともパーオンできず、アプローチ合戦となった。グリーン左ラフから今野、グリーン奥の石川とも絶妙の寄せでピンそば30センチほどにつけた。最後に、一番近いところから打つ小田は「チップインを狙って」ピンを4メートル以上オーバーさせてしまった。これを外せば脱落が決定的になる。
「もう、開き直ってストロークしました。決まってくれてホッとしました。でも、入ってくれるような気もしていました。なにしろ、最終ラウンドは、ずっとツキまっくっていましたから」
そのツキを象徴するようなシーンがあったのは、8番ホールでのことだった。ドライバーでのティショットを引っ掛けて左林に飛び込んでいった。それが、何かに当たってフェアウェイ方向に戻ってきた。取り囲んだギャラリーに当たったのだった。それも結婚以来、必ず試合に帯同する優子夫人の左肩に近いところに当たった。夫人は、そのまま医療室に運ばれた(大事には至らずに打撲傷だけですんだ)。そこからグリーンを狙ったショットをまた引っ掛けてバンカーに。ここでもツキがあった。このバンカーショットが、そのままカップに決まってのバーディーとなって、この時点で4アンダーパー。なんと、トップに並んでしまったのだ。
後半にターンしての11番からは3連続バーディーで単独トップに。スコアボードをキャディーと一緒に眺めながら、こんなことを話している。「一番上に俺の名前があるじゃないか。写真にとっておいて欲しいよな」
というわけで、この段階では、まだ優勝を意識してはいなかったそうだ。
プレーオフ2ホール目。再び18番ティーへ移動する。3選手とも、1ホール目でのパーセーブで緊張から解放されたのか、そろってドライバーショットでフェアウェイをとらえていた。今野に続いて2番目に第2打を打つ。ピンまで176ヤード。8番アイアンでフルスウィングしたボールは、ピン奥1.5メートルに。続いて石川。このショットもピンを指して飛んできたが、わずかにカラーにこぼれた。ほとんど同じフックライン。先にパッティングした石川のボールは、ホール右側で蹴られて外れた。今野も第1パットをはずしていた。残るは小田のウィニングパットだ。
「遼クンは、強めに打てるけど、僕は、そんなに強気にはなれないから。遼クンよりももう少し大きくフックするラインを設定しました」
あとは、一日のツキを信じて、設定したラインに打つだけ。このパットがカップ真ん中から決まってのツアー初優勝だった。
インタビューで夫人の名前を聞かれて、小田は答えた。
「優子。優は、優勝の優です。やっと、これを言えました(笑)」
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