プロ野球界からゴルフ界に転じてきた尾崎は、その圧倒的身体能力の高さで凄まじいまでの飛距離をみせつけていた。青木は、飛距離でも尾崎に対抗しようと、フックボールで攻め続けていた。尾崎と同じパワーゲームでの戦いを展開させていたのだった。ところが、肝心なところで、そのフックボールが致命傷になり、さらに尾崎にも先に日本オープン初優勝をさらわれてしまった。
「そこで、真剣に考えさせられたんだ。ヤツ(尾崎)と同じスタイルを追求していっても、ヤツには勝てない。自分には、もっと違う自分にふさわしいスタイルがあるんじゃないかってね」
ティーインググラウンドから攻めのゴルフを展開するのではなく、ホールロケーションによってグリーンのどこからパッティングするのが最もホールに沈めやすいのか。そのポジションにボールを止めるには、フェアウェイのどこから狙えばいいのか… 後に“逆算のゴルフ”と呼ばれるようになる青木スタイルの出発点だ。グリーンから逆算してルートを決め、狙い打ちしていく。リスクを伴うフックボールはそれを求められる状況であれば、即座に引き出しから出せる状態を保持しながら、持ち球をコントロール性が高いフェードボールへと切り替えていった。
昭和58年の第48回大会(六甲国際GC)。青木は、プレーオフに臨んでいた。そして、グリーン左サイドに立っているピンに対して4番ウッドで、さらにピンの左からのフェードボールで攻めるウィニングショットを放った。青木スタイルを作り上げようと心に決めてから9年の歳月が流れていた。青木の場合、初優勝までそれだけの準備期間が必要だったということなのであろう。