「いい意味で先週の大会の調子を引きずっています」というのは、地元のアマチュア川村昌弘である。先週(10月7~10日)第2回アジアアマチュアゴ選手権が、霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催された。同大会の優勝者は、アマチュア選手としてマスターズの出場権を得て招待され、しかも全英オープン選手権最終予選の出場資格が与えられる。
川村もその大会に出場していた。残念ながら9位タイで終わったものの、参加した選手たちで、この日本オープンに出場しているアマチュア選手は6人いるが、そのうち3人がアンダーパーで第1ラウンドを終えて、20位以内に入っている。
アマチュア選手の場合は、プロ選手のように毎週トーナメントがあ
るわけではないので、目指す大会に自分のコンディションをピークに持って行くのが大変である。先週の大会で、厳しいセッティング、速いグリーン、そしてスコアを作りに行って上位に入り込むという流れとゲーム勘を高い位置で保ったまま、この日本オープンにやってきている。
「今日は、いいところで好調のバンカーショットに救われました」というのは、川村昌弘である。特に、2アンダーパーで迎えた17番ホール。左バンカーからの見事なリカバリーは、ギャラリーたちだけでなく、同伴選手も唸らせた。
「いや、実は、先週の4日間、14回バンカーに入って、12回パーセーブできたんですよ。その感覚がはっきりと今日は、反映できました」と嬉しそうに語った。
最終ホールのラフからの第2打で、グリーン左バンカーの奧の傾斜のある深いラフに入ってしまった。「出すだけがやっとでした。弱ければ、またラフからのショットになりかねなかったので、これは最初からピンをオーバーしても仕方ないと決め込んで打ちました…でも、ほんとは、あそこも、左のバンカーでいいと思って打ったんですよ。それが飛びすぎてしまってのミスでした」と川村は、冷静に自分のゴルフを分析していた。
3バーディ・2ボギーの1アンダーパー。飄々としている川村は「まずまずのスタートだと思います。いまの自分ができることを、ともかく落ち着いてやっていくということを心がけています」と語った。
7月の日本アマチュア選手権で、大田和はどうしても「優勝」したいと胸に秘めて挑んだ。下馬評でも、大田和が優勝候補の筆頭だった。ところが、準々決勝まで順調に進んだあとの準決勝で、18ホールを終えてオールスクエアで迎え、19ホール目で権藤紘太に敗れてしまったのだった。
そのときの表情は、いつもの明るい、前向きな表情とは違って、がっくりと肩を落とし落胆を隠せなかった。3位決定戦で、高橋勝と対戦し、3and2で勝ち3位になったけれど、念願の優勝を果たせないでコースを去っていった。
「その後、やはり気持ちが収まらなかったというか、ちょっと立ち直るには、時間がかかりましたね。さあ、頑張ろう、という気持ちが、いまひとつ沸かなかったのも事実です」
1ヶ月後の日本学生。灼熱の太陽のもとで繰り広げられた大会だが、大田和の心は曇ったままであった。
「実は…」と大田和が話し始めた。大田和の父親が闘病していて、なんとかその「父親に日本アマのトロフィを」と胸に秘めていたにも関わらず、その逸る気持ちが空回りしての敗退だったのだろう。さらに大田和に追い打ちをかけるように、日本学生の大会の後、父親が他界(8月31日)してしまった。そんな隠された事情があったのだ。
「でも、結局、父親に恩返しをするには、僕が元気な姿で、いいプレーをすることがいちばんだと思ったんです。自分が、ちゃんとゲームに集中して、いいゴルフをすることが、父がいちばん喜んでくれることだと…」
この日、10番からスタートした大田和は、11番でバーディ。15番でダブルボギー。そして17番でバーディをとり、パープレーで折り返した。
「10番からスタートでしたけど、第1打が左ラフに入って、第2打も5番ウッドで打ったのが(ラフから)出なくて、100ヤードも残ってしまったんです。でも、出だしなのでボギーでも仕方ないと思っていたものが、10メートルほどの距離があったパットがうまく入ってくれたんです。それで、今日はパッティングの調子は悪くないぞ、と自信をもっていけました。このセッティングですから、途中のボギーやダボを打ってもあきらめないでやろうと思っていたら、いい結果出ました」
後半、2番でボギーとしたものの5、6番とバーディとし、1アンダーパーの70にスコアをまとめた。
「今日1日、凄く緊張したラウンドだったんです。それは、尊敬する大先輩の丸山茂樹さんと同じ組だったからです。丸山さんとは緊張してしゃべれなくて、松村(道央)さんも、やはり日大の先輩だし、お二人に胸を借りて、良い雰囲気を作って頂いたので、自分ではやりやすく感じました」
大田和は、今度こそ日本オープンのローアマのタイトルを獲って墓前に飾りたいと思っている。
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