「ティーショットもセカンドショットもパットも全てよかった」という金庚泰(キムキョンテ)が、7バーディ・ノーボギーの快進撃でコースレコードの64をマーク、プロとしては初出場の日本オープンで4打差を逆転して初優勝を果たした。
スタート前には「(逆転優勝までには」届かないかもしれない」と思っていたと言う。「このコースでは3ストロークぐらい伸ばすのが精一杯だという実感があったから」というのが、その理由だった。
スタートしてみると、本人の予想以上に調子がよかった。1、2番と連続バーディ。それでも「難しいホールが続くから…」と、3アンダーパーの目標は変えずにいた。5番パー5で第3打を1.5メートル
に寄せて3つ目のバーディを奪ったあとの6番パー4ホールが、ひとつの転機になった。エッジから6メートルのパットが決まった。
実は、先週から、パッティングに深刻な悩みを抱えていたというのだ。「自分が思ったラインに打ち出せないし、タッチも合わない」状態で、この大会でも練習日から「毎日2時間ぐらい練習グリーンで調整して、それでも修正できずにホテルに戻ってから部屋でまた1時間ぐらいボールを転がしていた。試合中のラウンドでもこの2週間で50回ぐらいパッティングのスタイルを微妙に変えていた。それこそ毎ホール違うことをやっていた」。それほど深刻だった。好転したのは、この大会に入って第3日のラウンド。「右肩を上げて地面と肩のラインが平行になるように構えたら、ストロークがスムーズになり、いい転がりのボールがでるようになった」という。
最終ラウンドの6番、そのいい転がりのパットができたことで、自信が蘇った。ハーフターンしても、スキのないゴルフを展開した。バーディチャンスを逃してのパー。決まればバーディ。崩れる気配もない。13番パー3でも5メートルを決めて12アンダーパー。この時点で単独トップ(後で最終組の武藤も、このホールのバーディで並ぶ)に躍り出た。さらに15番でもバーディを加えて13アンダーパー。
このホールを終えて16番ティーインググラウンドに向かうとき、一緒にラウンドした石川遼から声を掛けられたそうだ。
「キョンテ、(優勝)いけるよ。頑張って!」
24歳の金と19歳の石川。年齢差はあるが、仲がよい。金は、石川との同組対決となると決まって好スコアをマークする。「遼クンは、日本のナンバーワン選手だし、ギャラリーも多い。自分もいつも以上に集中力が増すから好き」。石川との相性の良さを、そう語った。
相性の良さといえば、昨シーズン終盤から契約したキャディの児島航(わたる)との関係もある。児島は、もともと丸山大輔の帯同キャディとして米ツアーでも、ともに戦っていた。その後、結婚し、一時キャディの仕事を離れ佐川急便に勤務したというが、再びキャディに戻ろうと決めた昨年後半、丸山から金を紹介された。そして、シーズン終盤の戦いを二人三脚で始めた。日本シリーズでの丸山茂樹との4ホールのプレーオフ。敗れはしたが、二人の息は合っていた。今シーズン、日本ツアーでの初優勝となったダイヤモンドカップも、もちろんこのコンビによるものだった。金が韓国に一時帰国していた東海クラシックでは、松村道央のキャディを依頼された。すると、その松村がツアー初優勝。そして、この日本オープンでは、再び金とのコンビを復活させて、またまた優勝。金、松村そろって、児島を「ラッキーキャディ」と呼んでいる。
2005年、2006年と日本アマチュアゴルフ選手権競技を連覇。アマチュアとして出場した韓国ツアーではプロを抑えて2勝。さらに、アジア大会では団体、個人とも金メダル。年末にプロ転向すると、デビュー戦から2連勝。圧倒的な強さは、アマチュア時代から現在まで続いている。
この日本オープンの優勝で、日本ツアーでの5年間のシード権が与えられる。それを利用して米ツアーに挑戦するのでは…。そんな質問に金は笑って答えた。
「僕は、日本が好き。アメリカは馴染めない。それより、日本の賞金王になるのが、僕の目標だから、最後までステージから降りたくない。いつか結婚して家族といっしょに行けるというのなら、そのときにアメリカでの戦いを改めて考えたい。結婚の時期? うーん、たぶん28歳か29歳ぐらいで…」
日本選手にとって最強の相手となる金。今後もツアーの主役の一人として日本ツアーで活躍し続けるに違いない。あのラッキーキャディとの名コンビで―。
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