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【シルバーコレクターを返上し、優勝杯を手にした室田】 |
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第4日
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競技報告:塩原義雄 写真:Gary Kobayashi |
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1メートル20センチほどのボギーパット。決まれば、そのままウィニングパットとなる最終18番ホールのグリーンだった。室田は、このパットを真中から決めて頭を抱えた。ガッツポーズではなかった。
「いやあ、恥ずかしいのとホッとしたのが半分ずつで、うれしいとか、勝ったとか、やった、という気分じゃなかったですね」
前の組でラウンドした芹澤信雄に2打差をつけて迎えた18番ホールであった。ボギーなら優勝という状況だった。ティーショット。前日同様3番ウッドを手にした。「何も考えずに、自分のスウィングをするだけ」のつもりだったが、ダウンスウィングに切り返すときに「左は、いやだ!」と無意識に体が勝手に反応してダ
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フってしまった。フェアウェイには残ったが、グリーンまでは200ヤード以上の距離を残してしまった。第2打は、グリーン左奥にこぼれてエッジのラフに。逆芽のいやらしいライだった。これを見て、室田は「軟らかく打とうとすると、芝生に食われるかもしれないから、ちょこんと強めに打ってやれば、適当に転がってくれるだろう」などと考えていたという。
ちょこんと打った。次の瞬間、とんでもない光景が出現した。ボールは斜め45度前方に飛び出し、グリーンを転がってそのままエッジのラフに出ていってしまったのだ。いわゆるシャンクである。ちょこんと打つつもりで、グリップが突き出ていった。グリーンを突っ切って第4打の地点に。今度はピッチエンドランでピン手前1.2メートルに寄せられた。
「最後にすごいゴルフを見せてしまいましたよね。ほんとうにプロじゃないみたいなショットだったでしょ。僕は、あのミス、しょっちゅうやるので“またやっちゃった”という感じでしたけど、みなさんが思うほどショックは引きずらずに次のアプローチショットに臨めました。ショックというより、とにかく恥ずかしかったですねえ。それと、やっと勝ててホッとしていたんです」
室田には、ここ5年分の思いが、どっと押し寄せてきた18番ホールだった。日本シニアオープン。初出場は2005年大会だった。最終ラウンドに74を叩いて6位に終わった。06年大会は、中嶋常幸と1打を巡るデッドヒートを演じて、敗れた。ここから2位街道が続いた。07年大会は、トップで迎えた最終ラウンド72とスコアをまとめたものの、エージシュートの65をマークした青木功に大逆転された。08年大会は、中嶋の独走になすすべなし。そして09年は最終ホールの3パットで渡辺司に優勝をさらわれた。実に4年連続の2位だった。昨年は、最終ラウンドに6打差を追撃し、一時は2打差まで詰め寄ったものの17番のティーショットを左林に打ち込んで4位タイに終わっている。優勝。室田にとっては、すぐに手が届きそうで届かないもどかしさと、口惜しさだけが残されてきた二文字であった。
第3ラウンドのプレーを終えトップタイとなって戻ったコースから車で15分ほどにあるホテル。室田は寝付けなかったという。部屋にクラブを1本持ち込んで握り方をチェックしたり、素振りしたり…。不安で仕方がなかったのだ。「ショットがバラバラだから、本当に誰か教えてくれる人がいないかなあ…。いま、すぐに“こうすれば治るよ”ってアドバイスしてくれる人がいてくれたらなあ、なんて思ったりもしてね」眠りも浅い。朝7時前には、起きてしまった。そして、またクラブを振り始めていた。2日目のラウンドを終えてのクラブハウスでの出来事に思いが飛んでいった。
「青木(功)さんが、僕のテーブルのところにきて“今年は、いけるだろう”って、声を掛けてくれたんですよ。“強敵(青木自身のこと)が、いないからよ”なんてね。ハッパをかけてくれたんでしょうけど、こんなこともプレッシャーになってね」
シルバーコレクターに甘んじ続けてきた5年間。そこから抜け出すのに、どれほどの葛藤が必要だったか。
インタビューの締めくくりも「勝てたという思いより、ホッとしたという気持ちばかりで、感激は、一体いつきてくれるのって感じです」
長かったひとつの戦いに、やっとピリオドが打たれた。
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