日本アマのクオリファイング第2ラウンドは、いつも残酷である。特に、マッチプレー進出32人を決めるとき、どうしても同スコアでのプレーオフ決戦になってしまう。今年は、15人が2アンダーパーにいて、そのうち4人が生き残れるという情勢だった。昨年は10名。一昨年は、7人。2011年は9人…。今年の15人は、2006年の13人を凌ぐ。
17時30分…。曇り空ですでに夕暮れ時だった。スコアカード提出順に、5人1組で3組が8番(9番を使用)からスタートした。パー5の8番で、1組目の福田圭輔、亀代順哉、永澤翔がバーディを獲って抜けだした。後続組を待っている。2組目の誰か独りがバーディを奪うと、パー以上の
選手がそこでゲームセットとなる。その2組目で勝亦悠斗がバーディを奪った。そこで6人がクラブハウスに帰っていく。4人が生き残り、最後の3組目を待つ。まず古田幸希がバーディを奪った。そしてオーストラリアのアンソニー・クエイルがねじ込んでバーディ。計6人が次の9番へと進んだ。今度は、3人ずつの組でプレーした。
その9番で、福田がダブルボギー。亀代がボギー。そして永澤がパー。後続組を待つ。勝亦と古田がボギー、アンソニーがパーとして、永澤とアンソニーがまず生き残った。残り2人枠を3人(古田、勝亦、亀代)で競い合う。そして残ったのが、古田と亀代だった。
「もう2ホール目(9番)のアプローチでは、ピンとの距離感がよく見えなかったんですよ。ですからつい強く入ってしまって……。ほんとうならあそこをしっかりとパーにしておいて決めたかったんですけどね。でも、ともかく薄皮一枚でマッチに進出できましたから、これをよく解釈して明日からのゲームに繋げたいと思います」
プレーオフが決着したころは、もう真っ暗になっていた。「ともかくハードルをひとつクリアできたわけですから、明日からはマッチプレー。条件は一緒です。チャンスあります。マッチは好きですし、経験もありますからね」と亀代は、気持ちを鋭く切り替えしていた。
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