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Championship Reports
競技報告
【大健闘が続く小木曽。「マッチプレーは大好きです」】
第4日 競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi
小木曽 喬
17歳111日。福井工業大学附属福井高3年生の小木曽喬(富士C可児)。アマチュア時代に活躍しプロ転向した川村昌弘の後輩にあたる。小木曽の目標とする人も、その先輩・川村昌弘だ。「ゴルフももちろんそうですけど、人間性というか人格が素晴らしい人なんです。僕たち後輩にも優しいですし、川村さんみたいなゴルファーになりたいです」と、しっかりと答えた。小木曽は名古屋生まれで、中学3年のときに福井工業大学附属福井中学に転校した。そのとき高校3年生だったのが川村だった。以来、小木曽は川村にぞっこんなのである。ルックスや一見した雰囲気は、全然違うのだけれど、どうもゴルフ感を聞いていると川村とダブってしまうのは、憧
古田幸希
れの人の影響なのだろう。
準々決勝で、大阪学院大の長谷川祥平(広島紅葉)と対戦した。3and2で勝ち抜いた。

「僕のゴルフが上手くはまったのだと思います」という小木曽。確かに、長谷川に聞くと「自滅でした。向こうが崩れない。僕が自滅という感じです」と言うように、小木曽のゴルフは、なかなか崩れない。
「僕は、例えば比嘉さんのようにショットの切れ味がいいわけではありません。ですからマネージメントを考えてプレーしないと(相手と)互角に戦えない。その意味でも、今日は冷静に状況判断もできていましたし、風の読みや番手の選択など、うまく行きました」と小木曽は自己分析した。準々決勝の対戦でも、小木曽のゴルフの内容は、ノーボギー。長谷川をして付け入る隙がなかったと言う。

そして準決勝では、東北福祉大ゴルフ部のキャプテンである古田幸希(十和田国際)とのマッチだった。古田が、2番、パー5で1up。小木曽が5番、パー4で奪いオールスクウェア。7番で、古田。8番で小木曽が奪って再びオールスクウェア。そして後半に折り返した。先に仕掛けたのは小木曽だった。11、12番で連続獲って2up。14、15番と古田が獲って、再びオールスクウェアとした。
「風がかなり吹いてきて、もう終盤になってきていて、16、17番は、その風をうまく利用して(攻めて)やろうかと思ったのが、裏目にでました。風に負けて2打目もうまくいかずに…」と古田は悔しそうに語った。16番をとって、あわよくば17番で風を利用して起死回生のショットをして、一気に勝ちに向けていこうという目論見だった。それが逆目にでたのである。この日の古田は、準々決勝でもなかなか勝負どころのパッティングを決めることができないでいた。準決勝でも、そのまま引きずって修正不能になっていたのである。

結局、17番で小木曽が1upとし、18番へと向かった。古田の残り距離は5メートル。これを入れて、せめてオールスクウェアに戻してエキストラホールへ進みたいと思っていた。逆に、小木曽は「たぶん、古田さんは入れてくるだろうな。僕は、手前の2メートルの距離。もしこれを外しても、エキストラホールに行けばいいんだ」と考えていたのである。小木曽は、この18番(パー5)538ヤードのティーグランドに立ったときから3打目勝負と決めていた。「エッジからピンまで23ヤード。3打目で120ヤード残しておきたかったんです。すると得意の9番アイアンで打てる距離なんです」。だから2打目は7番アイアンを使った。こういうマネージメントが小木曽の武器なのだろう。そのプランは、成功した。古田が、小木曽の予想通り奥からの5メートルを沈めた。そして小木曽は残り2メートルの距離を、ど真ん中から沈めたのである。精神的には、小木曽が有利だった。

「マッチプレーの経験は、高ゴ連の国際競技かなにかで経験していますけど、日本全体レベルの選手とやるのは初めてなんです。僕は、(マッチプレーが)大好きですね。次のホールのことを考えずにパッティングも強気でいけますし、やりやすいです。僕のゴルフ(の身上)は、ボギーを打たないことと少ないチャンスをどうやってものに出来るかなんです」とまだあどけない笑顔を見せた。
明日は比嘉と決勝戦だけど?と聞くと「楽しみですね。比嘉さんとは、仲良くしてくれていますし。見ていてアマ選手の中では、いちばん凄いと思います」と言った。比嘉くんも楽しみだと言っていたよ、と言い返すと「ホントですか?それは嬉しいですけど、怖いですね」と目を輝かせた。

もし小木曽が勝てば、日本人選手としては1973年中嶋常幸の18歳9ヶ月を、そして大会では、2004年の李東恒の17歳3ヶ月に次ぐ最年少優勝者となる。

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