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【プロ転向後ベストスコアの65をマークして5位浮上の田村】 |
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第3日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi Kentaro Shiba |
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田村尚之は、ずっと苦渋していた。昨年50歳を目前にアマチュアからプロ転向した。異色のプロと呼ばれた。アマ時代に日本アマで2005年から2年連続ベスト4。2007年にはランナーアップ。日本ミッドアマは2連覇とアマチュアとして輝かしい実績を残していた。サラリーマン・アマとしても話題を呼んだ。その田村がプロ転向し、今年からシニアツアーに参戦した。アマとはいえ長い競技生活で経験も豊富な田村。その田村が「シニアツアー参戦することになって、いざ試合になると、眠れなくなるんですよ。それに食欲もなくて、食べれない。苦しい日々だったんです」と告白した。確かに、かつて球聖ボビー・ジョーンズが競技生活をしていたころ
、試合が始まる1週間前から食欲が減退し、ときには吐き気もしたと語っていた。それほどではないまでも、田村にとっては深刻だった。
その田村を覚醒させたきっかけが、日本オープン最終ラウンドに同じ組で回ったアダム・スコットだった。スコットは、成績が振るわずに田村と同組で早いスタートだった。「最初は、誰?っていう感じで見ていたみたいですけど、すぐに打ち解けて、会話を交わしながらプレーできました。ほんとに素晴らしい人格、素晴らしいゴルフ感の持ち主でした」と言い始めた。「確かに、アダム・スコットの影響があったと思います。それは、アダムも苦しみながらプレーしていたからです。“みんな苦しいんだ“ということが、僕にとって精神的に少し楽にさせてくれたのかも知れません」と言った。
「僕は、体はもともと虚弱体質。果たしてシニアツアーでもやれるのだろうか、という不安もありましたし…。もうぼろぼろの体ですけど(笑)、でも、苦しさから逃れるなんて考えないで、そういう中からでも、自分のゴルフをやっていけばいいんだ、という気持ちが強くなりました」。
田村は、この小野グランドカントリークラブから、練習日に、その足で大阪まで車を走らせて、整体の施術して貰っている。「今日も、これから行こうと思っています。少しでも体をほぐして睡眠をとれれば…」と言った。
差異3ラウンド。田村は「プロ転向後のベストスコア」を弾き出した。前半が4バーディの32。後半も、4バーディ・1ボギーで33。65をマークして通算8アンダーパーで一気に5位に踊り出た。
「ゴルフを愉しむことにしました。苦しいときも、味わおうというか、楽しもうと。日本オープンでアダム・スコットさん。今週は、室田淳さん、今日は三好隆さん。三好さんはプレーも速いので、リズムよくまわれました」と言った。
ショットが冴えていた。いちばん長いバーディパットの距離が、5メートル1回。次が3メートル2回。そして1メートル前後からそれ以内が、4回あった。
「やはり3日目が大事ですから、60台で回りたいと思っていたのですが、できすぎです。このままシニアでダメで終わったら、何のために、というのもあるし、1日でもこういうゴルフができたのは、とても大きなことです。シニアでは、自分がいちばん歳下ですから、まずは挨拶をして、やっと馴染んできました」。
中身の濃い優勝争い。田村は4打差の5位。上にいる選手は、いずれも曲者ばかりである。「ともかく、いい意味で楽しみます!」と言った。
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