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【冷静に試合展開を読み切り接戦を制した倉本】 |
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第4日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi Kentaro Shiba |
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白熱した接戦は、最終ホールで倉本昌弘が、1メートル強のバーディパットを沈めて幕を閉じた。試合を振り返ると「流れは、井戸木だった」と倉本は解説する。ともに通算12アンダーパーで最終ラウンドを迎えた倉本と井戸木。1番では両者がバーディ。4番では、倉本がボギーとして一歩後退。井戸木がすかさず5、7番とバーディとして通算15アンダーパー。その差が、3ストロークに開いた。「この流れは、井戸木の流れ。地元だし、僕はアウェイ感いっぱい(笑)だったし、彼は誕生日優勝もかかっていましたからね。それに日本シニアオープンの歴代チャンピオンの中では、渡辺司がいちばん若い(57歳)ので、若手(井戸木が53歳)がいてもい
いのでは…などと思ったりしていましたよ(笑)」と言っていた。けれども、その譲りあう気持ちは、井戸木が続く8、9番で連続ボギーを叩いたところで、消え失せた。「日本プロゴルフ協会(PGA)の会長としての気持ちから、どんどん一選手の意識に変わっていったのは、確かです。特に、終盤には、そんな(本能が出た)風に変わってしまいました。これは習性ですよね」。
井戸木が連続ボギーを叩いたとき、倉本は、こう考えた。「井戸木くんが通算13アンダーパーとなったことで、渡辺司が優勝争いに加わってくると、(展開が)ややこしく(大混戦)なる」。4組前の渡辺は、前半を31で回り、10番もバーディとして、通算6アンダーパーから一気に通算12アンダーパーで、最終組が折り返した時点では井戸木、倉本、渡辺の3人が首位で走ることになった。優勝の行方は、まったく解らない。倉本のゴルフも余裕がなかった。練習をほとんどする時間もなく、シニアツアーの試合だけでゴルフをしている。会長という要職を、とうぜん優先しているからだ。第1ラウンドに語っていたように「いつだって不安いっぱい」でのプレーである。しかも久しぶりの優勝争いだ。
後半に入って、ようやくバーディがとれたのは、12番。しかし14番ではボギーで、通算13アンダーパーのまま。渡辺は、スコアをさらに伸ばす。13番、そして15番とバーディを奪った。通算14アンダーパー。井戸木が14アンダーパー。
一選手としての意識、本能が鮮明になったのは、16番からだった。3メートルのバーディパットを見事に沈めて、通算14アンダーパー。渡辺と並んだ。渡辺は、15番バーディのあと、もうひとつがなかなか獲れないまま最終ホール(パー5)にやってきた。ティーショットを左ラフ。しかも足場がバンカー内にかかる状況。2打目を刻んで3打目勝負。その3打目もピンに寄らずに6メートル。そのパッティングも打ちきれずにカップ際で右に切れた。パー。通算14アンダーパーでホールアウト。
倉本は、しっかりと計算していた。同じ最終ホール。ティーショットでは、この4日間で初めてドライバーを手にした。「ここは、ドライバーしかないでしょう。うまくいけば2オンの可能性もある。仮に、第2打で2オンを狙ってミスしてもパーは獲れる。パーとなっても、プレーオフのチャンスは残っていますからね」と語る。その第2打。残りピンまで235ヤード。倉本は、5番ウッド(クリーク)を手にした。「あれはダフりました。でも、池に入るショットではなかったので…。ダフって、花道(ピンまで残り45ヤード)に落ちた時には、バーディが獲れるだろうと思っていました。ま、もちろん外してもプレーオフのチャンスがあるわけですから、プレッシャーはあまりありませんでした」その確信は、選択肢がひとつしかないことだ。グリーンが雨の影響で柔らかくなっている。しかも花道からだからライの状態もいい。さらに、ピンが奥目で上って、その段の上に切ってある。ピッチショットで上げて止める選択肢しかない。迷う材料がないから、ミスの可能性も薄いというわけである。
およそ1メートル強。それを見事に沈めての優勝だった。「(大会前の)チャンピオンズディナーで、青木功さんや中嶋常幸さんから、1回の優勝じゃだめだ。2回勝って初めて価値があると言われましたから、これで果たせました」と嬉しそうに語った。
倉本は言う。この年齢になって、しかも練習量が足りないという状況では「諦めるところは諦める。いまの自分にできることしかやらない」ことが、ゲームをうまくつくっていけるのだという。勝因は「雨が降ってグリーンが柔らかくなっていたこと。こうなるとショット力のある選手が上位にきますよね。事実、上位の選手は、みんなショット力のいい選手ばかりですからね。でも、僕はきっと来年(のシーズンは)ダメでしょうね。いまは体力も技力も貯金で食べていますから。長くは持ちません」とも言った。PGA会長で日本シニアオープン優勝は、もちろん初めてのことである。
最終ホール。倉本は優勝を決めるバーディパットを沈めたときに、強く手のひらを握って、その握りこぶしで、しっかりとガッツポーズをした。嬉しさを隠せなかった。
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