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【平石は3バーディ・ノーボギーのプレーに「パーフェクト」】 |
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第2日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:Yoshitaka Watanabe |
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強風や突風に翻弄される選手たち。前半(10番スタート)で4バーディ・ノーボギーだった湯原信光も、後半になって翻弄されたという。「アゲインストだと思っていたら、いきなりフォロー。そこのボギーでリズムが崩れた」という始末だ。そんな中、平石武則は、ティーショットでフェアウェイを外したのが「ゼロです。全部フェアウェイキープしました」という。3バーディを奪ってノーボギーで、通算5アンダーパー。一気に2位グループに踊り出てきた。レギュラーツアー時代には、2001年久光製薬KBCオーガスタ優勝を始め、通算7勝を果たした後、シニア入りした。シニアデビュー年の2010年には、賞金ランキング13位。ところが、その
後、シニアツアーに顔を出さなくなった。
「実は、52歳のときから1年半、大山ゴルフ(鳥取県)の総支配人を任されてずっとネクタイを締めていたんですよ」と語る。取締役、総支配人、理事という立場で「いやー、支配人の仕事って、外から見ているよりもかなり大変なんですよ」という。ついに1年半が過ぎたあたりで「やっぱり試合で戦いたい」と辞意を伝えると、せめて理事と所属だけはという条件で、ようやく試合に復帰することになった。シニア選手にとっては、シニア入りの最初の50〜53歳までが、大きなピークになる。そこで好成績を上げて次のステップの準備をするわけだ。平石は、その最初のウェーブを逃していた。
「それでもいい経験になりました。誰に会っても、しっかりとお辞儀をすることを覚えましたしね(笑)」と語る。
その昔、高校球児(東洋大姫路)というと、かなりの飛ばし屋だと想像しがちだけれど、平石は逆に「飛ばないんですよ。平均で240〜250ヤードぐらいかな」という。思い切り振ったら? と聞くと「いやぁ、したことありません。うーん、練習場でなら、260ヤードぐらいかなぁ」と笑った。ともかく試合に出ることが大好きで、レギュラー時代から出られる試合は全部出るというタイプだ。
10番からスタートして、11番、2メートル。13番、8メートル。後半は、9番でバーディを奪って69。通算5アンダーパーとした。この日の9番は、ドライバブル(1オン可能なパー4)で、273ヤードのフォロー。狙いましたか? と尋ねると「とんでもない。グリーン手前。ピンまで20ヤードに置きました」そこからうまく寄せてのバーディだ。
苦しかったホールが、3番(パー3・219ヤード)だったという。ここで頭を使う。3番ウッドかドライバーかでしばし迷った挙句に、ドライバーを手にしてスライスボールを打ち、アプローチで3メートルに寄せてのナイスパーだった。
平石の戦略は、単純明快だ。「難しいほうに乗せない。手前から攻める。もちろんフェアウェイキープ」この簡単な戦略が、実は難しい。思い通りにいかないのがゴルフだからだ。そこを平石のゲームマネージメントとショットの引き出しの多さでカバーする。したがって今日のプレーは「パーフェクト」だったというのである。
平石は「ネクタイ生活の1年半」のブランクを喜々として取り戻したいという情熱を感じる。気がつけば、首位を走る加瀬秀樹と、1打差で第3ラウンドを迎える位置にいる。
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