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【“甦り”神社のお札のご利益? 平石の奇跡的な2ショット】 |
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第4日
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競技報告:塩原義雄 写真:Gary Kobayashi Yoshitaka Watanabe |
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優勝した平石武則には、ギャラリーはもちろんのこと、自身も驚くショットが2回もあった。最初は、距離が長く、難しい15番ホールの第3打であった。最終組で一緒に回り、2打差で追撃してきた米山は2オンしていた。平石は第2打を引っ掛けて左ラフに打ち込んでいた。ピンまで40ヤード。ボギーになって1打差、いや、米山がバーディ、平石がボギーで一気に並ぶような展開も考えられた。
ライは悪くなかった。「ボールを上げてキャリーを30ヤードちょっと、後は転がって寄っていく」というイメージで放った平石のショットは本人がイメージした通りの高さで飛んでいった。ボールの行方に視線を向けた平井は「これは、寄ったな」と、うまく
いったことを確信していた。結果は、それ以上だった。落下したボールは小さくバウンドしてから転がり、カップにコトリと消えていった。ピンチから一転してのバーディであった。
もうひとつのショットは、最終18番(パー5)の第3打だった。低いフェードボールを持ち球にする平石は、けっしてロングヒッターではない。ショットをコントロールしてつないでいくのが、そのゴルフスタイルである。ドライバーショットは、しっかりフェアウェイをとらえていた。さらに第2打もフェアウェイをヒットしてピンまで114ヤード地点にレイアップされていた。
実は、最終ホールを迎える前に平石は、16番で3パット、17番(パー3)では左ラフから右ラフと乱れ、連続ボギーを打っていた。米山とは1打差となって迎えたのが最終18番であった。その米山は、第1打のドライバーショットを距離の出るパワーフェードでフェアウェイのベストポジションに打ち出していた。2オンを狙える。第2打は、ピンに向かって飛び出し、手前3メートルほどのイーグルチャンスについていた。
このショットを目の当たりにしてからの平石の第3打である。「追い詰められた感じではなかった。でも“寄せな、しゃあないな”という気持ちで、いいスウィングができました」。ボールは、あわやカップインするかという10センチ足らずにギュギュっと止まった。
「ヨネ(米山)は、イーグルパットを決めてくると思ったので、これでプレーオフには持ち込めるとホッとさせてもらったショットでした」
「先に打ってええか」と米山に声を掛ける。「いや、それ、ウィニングパットになるから、マークしておいてくださいよ。僕のパットは決まりませんから」と、米山。実際に、その通りの結末になった。
鳥取県の大山ゴルフクラブの総支配人から再びトーナメントを舞台にするプロゴルファーへと戻ることを決めたのが2年近く前のこと。50歳のときに左ヒザ半月板の損傷で手術を受けた。51歳では腰のヘルニアを患った。そして、トーナメントの現場復帰を決めた直後にパッティングイップスを発症している事実に直面した。リハビリやパッティング練習を繰り返しながら、知人の勧めで足を向けたのが、米子市郊外の西伯郡南部町にある赤猪岩(あかいいわ)神社だった。小さな祠なのだが、古事記に記されている。なんでも、大国主命が兄弟神たちに赤猪だと騙されて焼けた岩を抱かされ、火傷で亡くなったのだが、母神や女神の手で生き返った。その地に造られたのが赤猪岩神社で、日本で唯一の“甦り”の神社として再生・蘇生のご守護があるという。
平石は絵馬に「復活。シニアツアーでのシード獲得と優勝」と書いて奉納し、お札をお守りとして肌身につけている。
「15番のアプローチショット、18番の第3打、そして日本シニアオープンの優勝。神掛かりと思うしかないようなことが、立て続けにありました。絶対にお礼にいきます」
55歳の新チャンピオンの誕生であった。
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