畑岡奈紗の朝は早かった。実に午前4時10分に起床していた。28日の第1ラウンドが11番のグリーンにいたときサスペンデッドとなり、29日は、そこからの残りホールを消化し、引き続き第2ラウンドに入らなければならなかったからだ。
残りホールを消化しての第1ラウンドは5アンダーパーの67。短いインターバルを挟んで第2ラウンドへと入った。ショット、パットともに引き続き好調だった。1オンチャレンジとして254ヤードに設定された13番(パー4)。もちろん、1オンを狙ってドライバーを手にした。そして、打ち出されたショットは、みごとグリーンをとらえていた。ピンまでは10メートル以上あったが、確実に2パット
で初バーディを奪った。さらに15、17番と2つのパー5ホールのバーディを加えて、この時点で通算8アンダーパーとスコアを伸ばし、暫定トップに躍り出た。
「第2ラウンドを終えて通算10アンダーパー。それを目標にしてプレーしました」という畑岡。18番をボギーにしたものの、前半では4、6番と2つのパー3ホールでバーディを奪い、通算9アンダーパー。惜しかったのは最終9番(パー4)だった。第2打をピン左2メートルにつけながら、フックラインだったバーディパットがカップ右縁に蹴られてはずれてしまった。
「目標には1打足りませんでしたけど、良い内容のゴルフができました」。
そういう畑岡は、プレー同様、自信にあふれていた。前週のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンの優勝で、深めた自信、取り戻した調子が維持されているということであろう。
アマチュアとして出場した昨年大会で優勝した後、プロ転向して戦いの場に選んだのはUSLPGAツアーであった。レベルの高さ、不慣れな生活に苦しみ、自信を失いかけた時期もあった。サポート体制も日本とは違う。ボールの提供はあっても、ウェア数は限られる。ホテル、モーテルに泊まって、洗濯も自分でした。何度も洗っているうちに、シャツの襟が色変わりしてしまう。プロ転向で、いきなり渡米してしまったため、スポンサーも、いまなおほとんど決まっていない状態だ。USPGAツアーのトーナメントでは、無名のルーキー扱いで、スタート時間も早い組か、最終組に近い枠になる。プロアマ競技に招かれることもほとんどないから、練習ラウンドも制限される。そうした環境で結果を出していくのは、並大抵ではない。
日本女子プロゴルフ協会の小林浩美会長が、USLPGAツアーに挑戦した当時の話をしていたことがある。
「1年目は、ホントにわけのわからないことばかりでした。外国の選手たちの輪に入っていけなかったし、移動の手続きも自分でやらなければならない。疎外感ばかりでした。で、私は、決めたんです。通訳抜きで、選手たちと話せるように、その努力をしていると認めてもらえるようにしようって。そうすると、他の選手たちが、私の話を理解しようとしてくれるようになりました。ちょっと、ツアー仲間の端っこに置いてもらえているかな…って、うれしかったことを覚えています。練習ラウンドでもときどきトップグループの選手とプレーできるようにもなっていきました。スタートラインに立つまでにずいぶん時間がかかりましたね」
畑岡も、USLPGAツアーでは、そうした経験をし始めたばかりで、まだ慣れたわけではない。日本でのツアー出場では、こうした苦労は考えられない。恵まれた環境で、しかも1シーズン米国で戦い、本人にはそれほどの自覚がなくとも確実にレベルアップしての帰国である。畑岡の大会連覇は、少しも不思議ではない。
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