本選手権、第1ラウンドの難ホールは、10番(491ヤード・パー4)だった。バーディが、4人。ボギーが52人。ダブルボギーが、9人。トリプルボギーが、3人。+4のダブルパーが1人。パーが、51人。平均スコアが、4.658。2番目の難ホールが、16番、502ヤード、パー4の4.442を、遥かに上回った。
今野大喜は、バーディを獲った希少の4人の中の1人だった。「今日は、その10番からのスタートだったんです。このバーディで、流れが凄くよくなりました。ティーショットも上手く打てて、セカンドも思い通りの球が打ててのバーディでした。はい。第2打は、残り197ヤードを5番アイアンで打って、ピンの奥2〜3メ
ートルだったと思います。まさか、このホール(もともとパー5)をパー4にするとは思いませんでした」12番で、バーディ。14番でボギー。そして17番でバーディをとり33で折り返して、後半は、7番でバーディの67だった。
「このコースは、思い出のコースなんですよ。僕が初めて試合(岐阜県ジュニア)に出たコース。その年は、日本女子プロも開催した年だったので、ラフがすごく長いという記憶があります。スコア? 100ちょっと打ったと思います」という今野は、岐阜県恵那市出身で、叔父さんは、今野康晴である。
今年の日本アマチュアゴルフ選手権で、同じ日本大学の大澤和也と優勝争いをして2位と惜敗している。それも最終ホール、18番で勝敗を分けた。「この場面でドライバーショットがしっかり打てたことは、満足しています。いままでやってきたことが成果として出たんですからね。でも、次のウェッジがダメでした」という。残り104ヤード。もちろん、ピンに刺さるショットを打ちたいという気持ちが強かった。「敗因は、あの1打です。雨が降り出して、しっかりと打ちたいという気持ちもあって、力が入ってしまいました」と悔んだ1打であった。グリーン奥にこぼれてしまった。ボギーだった。その1打が、敗因となったのだ。
その時、「あのウェッジがこれからの大きな課題になりますね。それで負けたことを自分のテーマにしていけば、次はチャンスが巡ってくると思っています」と、語っていた。今野に聞くと「あれから、かなり練習を積み重ねてきたつもりです。こういう(日本オープン仕様の)コースには、特にグリーン周りが難しいアプローチが増えてくると思うので、それ(練習の成果)ができているので、今日は我慢ができたと思います。特に後半は、アプローチ、パターで我慢できたホールが多かったと思います」と語った。
スタート前、ショットの感触は、決して良くなかった。「もともと」フェード系が持ち球なんですけど、クラブが寝てしまっていたのか、不安定でしたので、アイアンは、今日は、ドロー系で攻めました。14番のボギーは、ホールロケーションがフェード系で攻めないといけないところでしたが、急な切り替えが、まだできないところが、いまの実力だと思います」と言った。頻繁に「叔父さん(今野康晴)と電話やラインのやりとりで相談したり、会ってチェックをしてもらうのですが、いつもダメ出しばかりなんですよ」と、甥っ子の表情を見せたけれど、最後に彼は、こう締めくくった。「(試合になったら)その場でできることを、無理せずやることだと思っています」と、ゲームの心構えが、いつも、いまある自分以上でも、自分以下でもない自分で戦うということを実践しているようだった。
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